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火星生命探査における火星衛星探査計画「MMX」の役割に関する説明会

開催日時

  • 2021年8月19日(木)10:00~11:00

登壇者

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(左から川勝氏、臼井氏、菅原氏、黒澤氏、倉本氏)

中継録画

関連リンク

ミッション紹介動画

概要

(川勝氏より)

今日は8月13日にサイエンス誌に掲載された論文「火星とその衛星で生命を探す」をテーマにした説明会。

通常の研究論文は実験や解析結果が載った10ページ程度のもの。今回の論文はperspective(見解)という1ページのもの。このカテゴリは既存の問題や概念、考え方に新しい見方、将来の方向性、その意義について述べたもの。そのテーマに深い理解と観察をもつ著者が分野の成果や状況を俯瞰した上で今後の方向性を指し示す。通常の研究論文の一段階上で、その研究分野において重要な意味を持つ。

そのperspectiveというカテゴリにおいて「火星とその衛星で生命を探す」というタイトルの論文がトップ科学誌のサイエンスに採択され掲載されたことが重要なニュース。

この論文について内容、意義、価値を説明するため今回の説明会を準備した。

火星衛星探査計画MMXが持ち帰る試料の惑星検疫検討

(黒澤氏より)

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続きを読む

筒井康隆の「超虚構(メタフィクション)」について覚えていること

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こんな記事を読んだ。

TikTokで本を紹介している人が筒井康隆の『残像に口紅を』を採り上げたところ、書店のPOSデータでわかるほど売れたため版元が重版を決めたそうだ。

文庫版
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残像に口紅を』は世界から文字が消えていくという物語である。「あ」がなくなると文章に「あ」が出てこなくなるだけでなく、「朝」や「愛」といった「あ」を含む言葉も消えてしまう。そうやって少しずつ文字が消えていくと、いろいろな物や概念も消えていく。文章もだんだん同じ音がくり返され、スカスカした印象になっていく。これで最後はどうなるのかと思ったら、単行本では半分ちょっとから先が袋とじになっていた。

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「ここまでお読みになって読む気を失われたかたは、この封を切らずに、中央公論社までお手持ちください。この書籍の代金をお返しいたします。」

袋とじの直前が濡れ場が始まるところで、続きを期待させているのが面白かった。丁寧に袋とじを切って読んだ。

このころの筒井康隆には「超虚構メタフィクション」を目指した実験的な作品がある。せっかくなので超虚構について覚えている範囲で紹介したい。記憶に頼って書くため間違いがあったり、「この作品を紹介しないなんて」ということがあるかもしれません。そういうときはブコメTwitter優しくご指摘ください。

「超虚構」は現実の引き写しではなく、フィクションでしかできない物語や表現ができないかと考えて出てきた概念で、普通のフィクションの特徴としてこんな例が紹介される。

  • 物語の登場人物は物語が始まる前から存在し、物語が終わっても存在し続けるかのようにふるまっている
  • 登場人物は自分が物語の中の存在であることを自覚していない
  • 現実に起きそうにない出来事は物語でも起きない
  • 文章の進み方に対して時間の進み方が一定でない(一瞬の出来事を長々と描写したり、「それから3年」といった表現が可能)

これらの特徴を全部裏返して盛り込んだ小説が『虚人たち』である。

  • 物語の登場人物は物語が始まると同時に現れ、物語が終わると消える
  • 登場人物は自分が物語の中の存在であることを知っている
  • 現実にはまず起きない事件として、主人公の妻と娘が同時に別の犯人に誘拐される
  • 原稿用紙1枚を1分とする。主人公が眠っている間は白紙になる

虚人たち』は上のような理屈を知ってから読むと面白いのだけれど、中公文庫版は解説にすらこれらの説明がまったくない。何も知らずに手に取った人は戸惑うばかりではないだろうか。あの解説は今もそのままなのかなあ。

そして、こういった「超虚構」をめぐる考察は『着想の技術』に掲載されている。

文庫版
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こちらを読んでから『虚人たち』を読むととても楽しめるでしょう。

虚人たち』は実験小説で物語の面白さは二の次だが、虚構と現実が入り交じりながら不思議な読後感と文学的な満足感をもたらす作品もある。

『エロチック街道』は短編集。

文庫版
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『夢の木坂分岐点』は長編。

文庫版
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これらはなにも考えずにつるつる読める本ではない。内容も独特で「面白くない、わけがわからない、ついていけない」という人もいるだろう。でもこういうのが大好きな人にはたまらない。(と鏡を見る)

最後に『虚航船団』を紹介しておきたい。「まずコンパスが登場する。彼は気がくるっていた。」で始まる長編である。

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文庫版
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新潮社の「純文学書き下ろし特別作品」という枠で5年かけて書かれたもので、超虚構について考えてきた筒井康隆の集大成の趣がある。3章構成になっていて、第1章は文房具を(外見はそのままで)擬人化した乗組員が搭乗する宇宙船団、第2章はイタチが知的生命体になっている星の歴史が描かれる。第3章はその2つが融合してたいへんなことになる。よくわからないと思うがたいへん面白いのでぜひ読んでほしい。

筒井康隆の代表作は? というと『時をかける少女』や「テレパス七瀬」シリーズなどの知名度が高く、これらが紹介されがちだ。でも『虚航船団』は知名度こそ低いが、これこそ筒井康隆の代表作だと思う。

文庫版
Kindle
文庫版
Kindle

筒井康隆は作品がとても多く、全部を読むのは大変だ。『虚人たち』の増刷の記事から『虚人たち』や『虚航船団』を紹介したツイートには『驚愕の曠野』を勧める引用ツイートがついた。すいません、読んでないんです。今読んでる本がひと段落したら読もう。


文庫版(1997年刊行)
文庫版その2(2002年刊行)

「ルックバック」の修正に際しての編集部の声明は不誠実

この記事の続きです。

(上の記事は何度か追記しているので、すでに読んだ方もできればもう一度確認してみてください)

7月19日に「少年ジャンプ+」で公開された藤本タツキ作「ルックバック」について昨日、作中のセリフなどが一部修正された。

修正されたところは以下(だと思う。見落としがなければ)。絵の修正はなし。

88ページ
  • 初出…新聞記事の小見出し:「大学内に飾られている絵画から自分を罵倒する声が聞こえた」
  • →修正後…何かの記事の一部:「誰でもよかった」と犯人が供述して
111ページの犯人のセリフ
  • 初出…「オマエだろ 馬鹿にしてんのか? あ?」「さっきからウッセーんだよ!! ずっと!!」「うるせええええええ」
  • →修正後…「今日自分が死ぬって思ってたか? あ?」「今日死ぬって思ってたか!?」「なああああああああ」
111ページの事件の経過を説明する文字
  • 初出…男はこの時も被害妄想により自分を罵倒する声が聞こえていたと供述
  • →修正後…男は最初に目についた人を殺すつもりだったと供述
113ページの犯人のセリフ
  • 初出…「ほらア!!」「ちげーよ!! 俺のだろ!?」「元々オレのをパクったんだっただろ!?」「ほらな!! お前じゃん やっぱなあ!?」
  • →修正後…「見下しっ」「見下しやがって!」「絵描いて 馬鹿じゃねえのかああ!?」「社会の役に立てねえクセしてさああ!?」

初出時のセリフは幻聴や妄想の精神疾患を表現していて、これは統合失調症患者のステレオタイプ的表現だと感じた。そしてそういう人間が無差別殺人を起こすという展開になっている。これはよくないと思って前の記事を書いたのだった。

あの記事の主眼は「統合失調症の誤ったステレオタイプにもとづく描写はしないでほしい」だったんだけれど、書き方が悪くて炎上気味になってしまい反省している。どういう描写ならそう感じなかっただろうかと考えて、出てきたアイデアも詳しく書いてしまったので「こう修正しろ」「絶許! 描き直して当然!」と詰め寄っていると感じる人が多くなってしまった。「真意が伝わらず誤解を招いた」と謝罪したくなる人の気持ちがよくわかった。

ともかく、今回の修正によって犯人から統合失調症ステレオタイプ的な描写はなくなったと思う。そこは歓迎したい。修正による犯人像の変化とそれが作品に与える影響についても思うところがあるがそれは別の話。

さて、ここからがこの記事のタイトルの話である。

上のツイートの文言は「ルックバック」本編の冒頭にも描かれている。そのクレジットが「少年ジャンプ+編集部」で、作者である藤本タツキの名前がないのが気になった。しかし修正は作者からの申し出であるそうだ。

集英社広報部によると、「作者側から修正したいと申し出があり、編集部と協議の上で決定した」という。修正部分や理由については「説明することで偏見や差別を助長する恐れがあるため、回答を差し控える」とした。

京アニ事件想起か、表現を修正 話題漫画「ルックバック」―集英社:時事ドットコム

どこをどう修正したか、またなぜそうしたかはノーコメント。ツイートでも「作中の描写が偏見や差別の助長につながることは避けたいと考え」とあるが、どの描写がどんな偏見や差別の助長につながると編集部が考えたのかの説明はない。これはたいへん不誠実な態度で、作品を修正した意味がないのではと感じた。

時事通信の記事では「精神障害と犯罪をめぐる描写への問題も指摘され、統合失調症患者を名乗る人からは『人を殺す可能性がある存在として描かれるのはつらい』との抗議が寄せられた」とはっきり書かれている。これを読めば「そう感じた当事者の人がいて、そこに配慮して修正したのね」とわかる。しかしそういう事情を編集部や集英社の広報が説明していない。

ツイートや作品冒頭の「不適切な表現があるとの指摘を読者の方からいただきまし​た」も、具体的にどういう指摘があったのかを示していない。いきさつを知らない人からしたら編集部の対応は、「偏見や差別の助長につながるというクレームがあった」ことだけが示唆されることになる。これだと「圧力に屈して作品を修正した」ととる人もいるだろう。そこから「作品を修正しろと迫ったのは誰だ」となってしまっては、意見を表明した精神疾患の当事者への偏見や差別がかえって助長されるのではないか。

また編集部の書き方や広報の回答は現状だと、当事者に対して「修正したのはあなた方に配慮してのことかもしれないし、そうではないかもしれない」というメッセージにしかなっていない。

この状態は編集部なり集英社の広報なりがきちんと説明すれば改善できる。「ルックバック」に対してどんな指摘があって、編集部はそれをどう受け止めたのか。どこをどう直すことによって、誰に対するどんな偏見や差別の助長を防ぐつもりなのか。そういうことをちゃんと説明して初めて、「ルックバック」をあのように修正した意義が出てくるのではないだろうか。

追記

単行本を読みました。

新型コロナウイルスのワクチン接種(第2回)

この記事の続きです。

今日、第2回のワクチン接種に行ってきた。会場が前回と同じなので手続きも基本的に同じで、「2回目ですね」「2回目ですね」とよく聞かれた。ひょっとすると前回も「1回目ですね」と何度も聞かれていたかもしれない。

予診票を確認して受付、問診、ワクチン接種、接種完了の手続き、待機とどんどん進む。待機のとき「12分待ちます」と言われた。15分じゃないんだ。聞いてみると「接種したあとの手続きやここに歩いてくるまでの時間を考慮して、ここでの待機時間は12分にしています」とのことだった。なるほど、少しでも回転をよくしたいんだな。ひょっとすると前回もキッチンタイマーは12分だったかもしれない。

待機時間が終わって、気になる症状は今回もなし。これで新型コロナウイルスワクチンの接種は無事に終わった。あとは2週間待てば抗体が十分にでき、感染しない効果や感染しても発症しない効果を約90パーセント得られる。また重症化もしにくいそうだ。ああよかった。

感染症専門医が解説! 分かってきたワクチンの効果と副反応|新型コロナワクチンQ&A|厚生労働省

とはいえ絶対感染しなくなるわけではないので、感染すると自分は軽症でもほかの人へうつしてしまうかもしれない。今のように感染者がたくさんいる状況では2週間たってもマスクや手洗いは欠かせない。自分はもう安心でも、周囲の人たちがもっとワクチンを接種するまでもうしばらくのがまんだ。

追記:副反応について

第1回、第2回とも左腕を上げると少し痛くなるのが1日ほどあったくらいで、熱が出たりはしなかった。ファイザーは副反応が小さいと聞いたことがあるが、それでもここまで楽だとは思わなかった。

副反応の大きさはどうやって決まるのだろうか。もしワクチンを打つまでに新型コロナウイルスにどのくらい曝露したかで決まるのだとしたら、感染対策がうまくいっていたことになる。(実際どうなのかは調べてみないと)

追記:第3回のワクチンを打ちました

ツイートは「フォローしているアカウント」のみ返信可をデフォルトにしたい

少し前にツイート時の設定が増えて、ツイートへリプライできるアカウントを制限できるようになった。

  • 「全員」…誰でも返信できる(デフォルト。今まではすべてこの設定だった)
  • 「フォローしているアカウント」…ツイートした人と、ツイートした人がフォローしているアカウントが返信できる
  • 「@ツイートしたアカウントのみ」…ツイートした人と、ツイート内で@されたアカウントが返信できる

今は基本的に「フォローしているアカウント」の設定でツイートするようにしている。

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ツイートしていると間違った情報をもとに反論してきたり、顔見知りでもないのに敬語も使わず罵倒してきたり、目立ちたがりがどうでもいい話をしてきたりすることがたまにある。そういういわゆる「クソリプ」を自分のツイートにぶら下げたくない。

ツイートもブログのエントリも、自分がネットに向けて発信するコンテンツである。であれば、そこにどんなリプライやコメントを掲載するかはなるべく自分でコントロールしたい。昔のような誰でもリプライできて、一度リプライされたら表示されっぱなしなのはとても乱暴な状態だと感じる。これはコメント欄を閉じられないブログのようなものだ。(※今のTwitterにはリプライごとに非表示にする機能もある)

引用ツイートで、元のツイートにぶら下げたくなるものが来ることがある。その場合、自分で元のツイートにリプライする形でそれを引用ツイートする。ラジオ番組への感想をパーソナリティが選んで紹介する感覚だ。

「ネットに公開したからには何を言われても受け入れるべき」みたいな意見もあるだろう。そうだとしてもあらゆるリプライが誰にも見える状態で固定されるのは望ましくない。Twitterではリプライできなくても引用ツイートがある。ツイートに「×件の引用ツイート」と表示され、そこをクリックすればツイートへの引用ツイートを一覧で見ることができる。これなら「デマツイートが野放しになる」「問題のあるツイートへの指摘が隠れてしまう」という懸念もある程度和らぐし、現に今そういう不満の声が大きいとは感じない。

今はもう「フォローしているアカウント」のみリプライできるツイートをするのにすっかり慣れ、これでうまくいっていると感じる。たまにツイート時に設定変更を忘れて「全員(リプライできる)」のままツイートしてしまうと不安になる。マスクをするのを忘れて外出してしまったときのような気持ち。

そういうことがないように、ツイートはデフォルトで「フォローしているアカウント」にしてほしいのだがそういう設定はない。Twitterとしてはなるべくたくさんのユーザーと活発にやり取りできるようにしておいて、Twitterでの滞留時間を長くしてほしいのかもしれない。

追記

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上で「ツイート時に設定変更を忘れて『全員(リプライできる)』のままツイートしてしまうと不安になる」と書いたが、いつの間にかツイート後に設定を変えられるようになっていた。ツイートを表示して右上の「…」から「返信できるユーザーを変更」を選択すれば最初の画像の「全員/フォローしているアカウント/@ツイートしたアカウントのみ」の選択肢が出てくる。

「ルックバック」のあの場面をどう描いてもらいたかったか(ネタバレあり)(追記あり)

藤本タツキの読み切り「ルックバック」が公開されたのは19日。まだ3日しか経っていないのにものすごい反響である。

「ネタバレあり」なのでこのあと作品の内容に触れていきますよ。見出しだけでは全体像が見えないことがあります。まずリンク先を読んでみませんか?

というかすごい作品なので読んでください。

読みましたか? 読みましたね。

では続きです。

「ルックバック」が傑作であることは間違いない。これは京都アニメーションの放火殺人事件をモチーフにしているという。藤本タツキは「長門は俺」というペンネームを使っていた時代もあるそうで、ここでいう「長門」は長門有希、「涼宮ハルヒの憂鬱」の登場人物である。そしてそのアニメを制作したのは京都アニメーションだった。となればあの事件に思うところも大きかったのだろう。この作品は事件から2年経った翌日に公開された。痛ましい出来事を前にして、それでも自分は前に進んでいくという作者の決意表明であると感じた。

ほかのマンガ家さんたちの感想。「ルックバック」はマンガ家マンガなので皆さん直撃を食らっている。そして表現がそれぞれうまい。さすが。

まとめの中ではこれ↓がよかった。広江礼威先生は優しい。

さて作中、通り魔殺人事件が起きる。その犯人の描写が問題になっている。

犯人のセリフはこんな感じである。「さっきからウッセーんだよ!! ずっと!!」「元々オレのをパクったんだっただろ!?」

この描写は統合失調症にありがちな幻聴や妄想をステレオタイプ(典型的なイメージ)的に表現していると感じた。そしてそういう人間が通り魔殺人を起こす内容になっていたのが引っかかった。こういう人はこういう事件を起こすものと思われてしまうのではないか。案の定、当事者の人々から意見や懸念が表明された。

精神科医斎藤環も下のようなツイートをしている。

統合失調症は現在、適切な投薬によってコントロールできる病気である。幻聴や妄想に駆られて通り魔を起こすようなことはない。しかし「精神分裂病」と呼ばれていた昔から、この種の人間が傷害事件を起こす描写はさまざまな作品でくり返されてきた。その誤ったステレオタイプに乗っかって理不尽な暴力が表現されるのは避けてほしい。

「ルックバック」の劇中、犯人が統合失調症であるという説明はない。しかしそのことをもって、声を上げた当事者に対して「犯人が統合失調症とは限らないではないか、統合失調症に特有の被害妄想だろう」と詰め寄るのは差別と偏見に満ちており間違っている。我々は説明されていなくても作品から情報を受け取ることができるからだ。現にこの作品が京アニの事件をモチーフにしていることは作品中まったく触れられていないが、知れば誰もが納得している。

ではどうすればよかったのか。「犯人は精神科への通院歴があったが投薬を怠っていた」という説明が入れば、少なくとも統合失調症の患者が必ずこのような事件を起こすわけではないと理解されるかもしれない。2011年に栃木県鹿沼市で起きたクレーン車の事故では、てんかんの持病を隠して運転免許を取得した男が薬をちゃんと飲まずに運転し、発作が出て死亡事故を起こしてしまった。このときは日本てんかん協会が「投薬を怠っていたなら非常に遺憾」という声明を出している。

でもよく考えたらこれはダメだ。統合失調症の患者は適切な投薬がないと無差別殺人を起こす可能性があるという誤解が残ってしまう。

では犯人のセリフをなくしてはどうか。それでもあの場面は成立しそうだ。男の後ろに倒れている学生が見えるなどすれば、無差別殺人であることがわかりやすいかもしれない。しかしその場合「元々オレのをパクったんだっただろ!?」というセリフをどうしたらいいだろうか。京アニ事件の犯人が動機として「自分の作品を盗まれたと思った」と語っていたからだ(ただし京アニ社長によると犯人の名前で京アニへ投稿された作品はないという←間違いでした。「「『ツルネ』などが盗用」青葉容疑者が主張 京アニ事件 京アニ放火!:朝日新聞デジタル」によると「容疑者と同姓同名の名前で京アニに応募があった作品は、長編と短編の1本ずつ」。ただし京都府警が作品を確認したが「いずれも盗作と受け取れるような類似点は見当たらなかった」とのこと)。京アニの事件を思い起こさせつつ、それを統合失調症ステレオタイプに寄せず描けるものだろうか。そこは藤本タツキの力量に期待したい。

ともかく、今の作品の状態からさらに工夫をこらすことで、統合失調症への偏見や差別を助長しかねない描写から脱することができそうな気がする。

と書いていたら、もう単行本化が発表されたそうだ。9月3日発売。

さて、くだんの場面は単行本化にあたって描き直されるだろうか。発売が楽しみだ。

追記

ブコメに返答します。

  • id:filinion 私は「あっ統合失調症患者だ!」とは思わなかったけど…。京アニ事件の犯人(患者ではない)が「自分のをパクられた」という思い込みで凶行に及んだ、という現実がある以上、その方向で描くのは避けがたいのでは…。

統合失調症ステレオタイプに従っているので自分はそう感じた、ということです。犯人の「パクられた」をふまえつつどう描くかは作者の力量に期待しています。

そのような診断は出ていません。また劇中の犯人にもそのような説明はありません。「作中の犯人は薬物中毒なんだと思った」という人もいました。しかし専門家も含め、統合失調症の描写であると感じる人が少なからずいるのは確かです。荻上チキ氏も上の増田氏に応答して「悪魔化・患者化された記号としての加害者描写は、(…)幻聴に関連する特定の疾病群に対する偏見を助長する可能性は気になりました」と指摘しています↓。

  • id:ivory105 その顔俺のことバカにしてんだろ!みたいな思い込みで激昂するのよくあるシーンだと思うんだけどそれとどこが違うのか。勝手に統合失調症だって決めつけてる上どう描けば良かったかとか思い上がりも甚だしい

思い込みで激高するシーンはままあると思います。では「さっきからウッセーんだよ!! ずっと!!」はどうでしょうか。いわゆる健常者とされている(精神に障害を来していると説明されていない)登場人物がこれを言い出したら違う話になってくると思いませんか。

「勝手に統合失調症と決めつけている」はその通りです。しかし皆さんも「この作品は京アニの事件をモチーフにしている」と決めつけていますよね、ということを上で書いています。

思い上がっているつもりはありませんが、作品に対して「こうだったらもっとよかったな」という話は普通にしませんか?

  • id:xorzx 「自分の作品をパクられた」=「総合失調症」って固定概念がどうかしてない?【引用者註:以下追記分】妄想する人全てが総合失調症じゃ無いし、妄想しない総合失調症の患者さんもいるだろうに。

妄想は統合失調症の典型的な症状です。

【追記分について】そうですね。妄想している人だから統合失調症と言っているつもりはなくて、妄想と幻聴が統合失調症ステレオタイプだと感じた、と上で書いています。

  • id:gowithyou こういうのを「クソリプ」って言うんだよ。創作物の内容に他人がこうすべきだと口を出すのは思い上がり以外の何物でもない。だったら自分で一から創作してみろよ出来ないだろ?

思い上がっているつもりはありませんが、作品に対して「こうだったらもっとよかったな」という話は普通にしませんか?

  • id:danseikinametaro タイトル見て医者が書いたのか?と思ったら違った。「どう描けばよかったのか」って何様だよ。

あーなるほど、「どう描けばよかったのか」に引っかかるんですね。わかりました。タイトルを「どう描いてもらいたかったか」に変更します。ところで医者が書くのであれば「どう描けばよかったのか」でもOKなんですか?

  • id:versatile なんだかな。あるシーンだけが一人歩きして意味不明な消費のされ方をしていくのはもったいないね。作者には是非またこれくらいの長さの話を描いて欲しい。個人的にはチェンソーマンの続きはどっちでもいいっす

記事中で紹介した記事は残らず「すばらしい作品だがあの場面だけはちょっと…」という書き方になっています。傑作であることは確かだと自分も思います。それだけにあのシーンについて議論することが「意味不明な消費のされ方」だとは思いません。

藤本タツキは短編もうまいので、『ルックバック』の単行本にはほかの短編も収録してほしいですね。あるいは別に短編集を出すとか。

  • id:catan_coton どう描けば良かったか?あのままでいいよ。

もちろんそれも一つの意見です。タイトルは変更しました。

  • id:ajptan 「パクった」という事件の動機に対するアンチテーゼとして作中背景に元ネタを分かりやすい形で散りばめたのでは…と解釈したので、あのセリフは絶対に必要な言葉だったんじゃないかと勝手に思ってる。

そうですねー。意見をふまえてどう処理するかは単行本でわかるでしょう。もちろんなにも修正せずそのまま載せたとしても、それは作者や編集部の判断として尊重します。

さらに追記

斎藤環が「ルックバック」について記事を書いた。

精神障害の当事者が声を上げたのに対して心ない反応が多かったという話は胸が痛む。「『そういうとこだぞ』という反応には『患者が合理的に考えられるはずがない』『稚拙な論理の穴を突いてはずかしめたい』『そもそも患者の妄想語りなど訊くに値しない』という三重の差別意識がこめられているように思う」。

そしてナルホドと思ったのは次のくだり。

せめて幻聴を匂わせなければ、という気もするが、それだと完全に某事件の某容疑者がモデルに確定してしまう。難しいところだ。

「意思疎通できない殺人鬼」はどこにいるのか?|斎藤環(精神科医)|note

「パクったんだろ」は京アニ事件の犯人のことを匂わせるために必要なセリフと思っていたが、幻聴を思わせる描写があるためにむしろこの男は京アニ事件の犯人をモデルにしていないということになる、という指摘である。確かに京アニ事件の犯人に幻聴を疑わせる言動があったという報道はなかったと思う。とすると作中で犯人にセリフがまったくなくても、作者の表現したいことは完成できるのかもしれない。

追記

修正されたが…という話を書きました。

単行本を読んだ感想を書きました。

『キューブサット物語』の電子版が7月24日ごろ発売の予定です

わたしが編集を担当して2005年にエクスナレッジから発売した本が、川島レイさんの『キューブサット物語』です。東大と東工大の学生たちが10センチ立方、重さ1キロの超小型人工衛星を作って宇宙へ打ち上げるという、当時はまず考えられなかった快挙を2003年になし遂げるまでの話です。

2005年当時の発売告知記事
キューブサット物語〜超小型手作り衛星、宇宙へ』3月22日発売(https://ima.hatenablog.jp/entry/20050311/cubesat

本は数年前に絶版となり、版元から著作権を引き上げた著者の川島さんから依頼されて編集と電子化を担当することになりました。

人工衛星を作るにあたっては、どんなことをさせるか=ミッションが決まったら、いきなり本番の機体を設計し組み立てるわけではありません。ブレッドボードモデル、エンジニアリングモデルを順に作ってブラッシュアップした上で、実際に打ち上げるフライトモデルを作ります。

東大と東工大のチームはお互いの様子をうかがいながら、競うようにキューブサットを開発していきました。同じ目標を目指す仲間であり、同時にライバルでもある関係がうまく作用したと感じます。2つの大学の学生たちは数々の試験とトラブルを乗り越え、2機の超小型人工衛星を作り上げました。

同時に、人工衛星を宇宙へ打ち上げるロケットも探さなければなりません。大きな人工衛星を打ち上げるロケットについでに安く載せてもらう方式なので、メインの衛星が遅れるとキューブサットの打ち上げも自動的に遅れたりします。自分でコントロールできないもどかしさがあり、ロケットの調達は衛星の製作とはまだ別の苦労があったかもしれません。

ほかにもいろいろ語りたくなりますがこれくらいにして、実際に読んでみてください。

電子版では表紙に記載した通り、本書に登場する教員や当時の学生の皆さんにメッセージを寄せていただいています。今は「はやぶさ2」のプロマネになった津田雄一さん、同じく「はやぶさ2」プロジェクトメンバーの澤田弘崇さん、イプシロンロケットの開発メンバーの宇井恭一さん、スペースXで再利用型ロケットを開発している桑田良昭さん、超小型人工衛星でビジネスを行うアクセルスペースを起業し代表を務める中村友哉さん。そのほか総勢27人の方に18年前をふり返っていただきました。

さらに東大のキューブサットXIサイ-IVフォー」が宇宙から撮影した地球の画像も多数収録しました。書籍ではカバーの見返しに8枚載せただけでしたが、カラー写真をたくさんご覧いただくことができるのは電子版のメリットですね。打ち上げから時間が経つにつれてレンズが変色していく様子がよくわかります。

キューブサット物語』電子版の目次
  • キューブサット物語』電子版のための前書き
  • はじめに
  • 第一章 始まりはいつもハワイ[1999年11月]
  • 第二章 キューブサット・プロジェクト始動[1999年12月~2000年11月]
  • 第三章 汗と涙の開発競争[2000年11月~2001年5月]
  • 第四章 キューブサット試練の日々[2001年5月~2001年12月]
  • 第五章 二転三転する打ち上げ[2002年1月~2003年5月]
  • 第六章 ロシア経由宇宙行き[2003年6月]
  • 第七章 打ち上げの日[2003年6月30日]
  • エピローグ[2004年6月30日]
  • あとがき
  • キューブサット物語』から18年後のメッセージ
    • 中須賀真一/松永三郎/ボブ・トイッグス/山元透/津田雄一/澤田弘崇/永島隆/酒匂信匡/宇井恭一/中谷幸司/有川善久/村上誠典/伊藤孝浩/宮村典秀/宮下直己/此上一也/小田靖久/岡田英人/居相政史/船瀬龍/程島竜一/桑田良昭/占部智之/金色一賢/中村友哉/新井達也/程毓梁
  • キューブサット「Ⅺ-Ⅳ」が撮影した地球
  • 関連サイト

2003年にロシアの小型ロケットで打ち上げられた2つの人工衛星は、今でも宇宙にいて運用されています。

キューブサットという10センチ立方の人工衛星はその後、超小型衛星のデファクトサイズになりました。当時は打ち上げロケットを探すのにとても苦労しましたが、今では国際宇宙ステーションからキューブサットを放出するプログラムが運用されています。高校生や個人のグループもキューブサットを製作するようになりました。

キューブサット物語』電子版は7月24日ごろ、AmazonKindleで発売予定です。ぜひご覧ください。

それから、著者の川島レイさんはこの本の前に書いた『上がれ! 空き缶衛星』をすでに電子化してKindleで発売しています。こちらは『キューブサット物語』の前日譚で、大学生たちがジュース缶の中に人工衛星の機能を詰め込み、モデルロケットで大空へ打ち上げるまでが描かれています。ご興味のある方はぜひどうぞ。

親本のレビュー

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追記

無事発売できました。よろしくお願いいたします。