- http://d.hatena.ne.jp/churos/20040604
- http://d.hatena.ne.jp/tanakadaishi/20040606
- http://d.hatena.ne.jp/manpukuya/20040622
- http://d.hatena.ne.jp/manpukuya/20040627
- http://d.hatena.ne.jp/manpukuya/20041025
地下鉄の窓に“燃焼系”〜東京メトロの「動くトンネル広告」を見てきました(ITmedia・04/06/02s付)
ついに民間機で初の宇宙飛行へ! 無事帰還後に記念フォトセッションもOK(MYCOM PC WEB・04/06/03付)
これは「ボイジャー」(宇宙探査機ではなく、無着陸世界一周をした飛行機)を作った会社がやっているのか。なんとなく納得。
ところで、宇宙へ行くとはどういうことか。大気圏と宇宙の境目ははっきりしていない。ある高さで空気が急になくなるわけではなく、少しずつ薄くなっていく。なので便宜上、上空100キロメートル以上を宇宙ということにしましょう、ということになっている(東京から熱海までの距離が約100キロメートルである)。
で、今回のこの「スペースシップ・ワン」は、まず「ホワイトナイト」という別の飛行機に載せられて15.2キロメートルの高さに行く。そこでロケットを噴射し、100キロメートルの高さをかすめるように通る。「宇宙へ行く」というと、地上からドドーンとロケットで打ち上げて、地球を何周もするイメージがあるかもしれないが、とにかく100キロメートルの高さまで行けば「宇宙へ行った」と言っていいわけなので、これも立派な「宇宙到達」なわけだ。結果が楽しみ。
「スペースシップ・ワン」や「ホワイトナイト」は、なかなかかっこいいデザイン。会社「Scaled Compsites」のサイト(http://www.scaled.com/)を見ると、「ボイジャー」も見ることができる。どれも、エコマラソンに出る車のような繊細さがある。
宇宙関係、きになる本2冊
- やんちゃな独創―糸川英夫伝
的川泰宣・著、日刊工業新聞社、1890円、ISBN:4526052523[bk1](日本ロケット開発の父、糸川英夫の評伝。これは読みたい。ぜひ読みたい)- 上がれ! 空き缶衛星
川島レイ・著、新潮社、1260円、ISBN:4104684015[bk1](学生たちが、空き缶をガワにした人工衛星「カンサット」を作る話。「新潮社の6月新刊」を見ると四六判で192ページしかないようで、ちと残念)
幻想の電車男
チマタで話題の「電車男」を、梅田望夫も紹介した(「『電車男』に見る2ch文学の可能性」)。
電車男の話題で気になっていたのは、「この話は映画化/ドラマ化したらいいんじゃないか」という意見がときどき出てくることだ。梅田望夫も「これは間違いなくテレビドラマの原作にはなるのではないか」と書いている。これが不思議なのだ。
「電車男」のまとめログはとても面白い。内容もさることながら、2ちゃんねるの書き込みにある独特のドライブ感がすばらしい。ログの取捨選択、ときどき入るナレーション風のリードも絶妙だ。これをほかのメディアに変換するのは難しいと思うし、わざわざメディア変換をしなくてもログを読めば楽しめるのではないか。
(物語メディアの変換パターンには「映画化」「ドラマ化」「アニメ化」「マンガ化」「ノベライズ(小説化)」「ゲーム化」といろいろあるが、ここではまとめて「メディア変換」としよう)
物語を別のメディアに変換して再摂取したい、という気持ちは、どこから出てくるのだろうか。
いやそりゃ、好きな小説が映画になったり、好きなマンガがアニメになったりと、好きなメディアが別のメディアに変換されたら、自分だってそれはやっぱり見たり読んだりしたいと思うし、実際そうすることもある。でも、「これが好きだからメディア変換してほしい」と思うことはまずなく、基本は「メディア変換されたのなら摂取してみよう」という受け身のスタンスだ。
すでに感動した物語を別の形式で感動し直したい、ということだろうか。変換元への印象は人それぞれで、自分が受けた感動もそのまま変換されるかはわからないのに? ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』が映画化されたら『ブレードランナー』になっちゃうことだってあるのに?
クリエイターが「自分なりの技法で、この物語を表現し直したい」と考える気持ちならば理解できる(同人の二次創作も含めて)。自分の思う通りにメディア変換できるのだから、自分の感動を自分の方法で変換できる。でも単に、「この物語をメディア変換してほしい」と願う気持ちの出どころがよくわからない。
自分が感動した物語を各自の感動の枠に入れ、メディアの形式を変えつつ何度も摂取したいという欲望だろうか。それにしては実現される保証が低く、不用意だと思う。
ところで、電車男氏は物語的にはゴールを迎えてしまった。すると、彼が2ちゃんねるの該当スレッドに書き込むと、かつて自分を励まし、相談に乗ってくれた人々から逆に疎まれるようになっていったらしい。これも興味深い。「いつまでも幸せに暮らしました」という大団円を迎えた人間を「卒業」させてしまい、排除する圧力。これも、受け取る側が理想とする物語に押し込め、従わせようとする欲望ではないだろうか。
全然まとまりがないけれど、いったんここまで。
晴れ
- 2004年6月4日の記事をまとめ読み:http://ima.hatenablog.jp/entries/2004/06/04