相変わらず「世界樹の迷宮」を遊んでいて、ジップロック(的な袋)にニンテンドーDSを入れて風呂へ持ち込んだところ異常に長風呂になってしまったりしている。
「世界樹の迷宮」の進行は、つきつめればこうなる。
- 迷宮へ潜って、行けるところまで行って戻ってくる
- 得たアイテムを売って武器や防具などを買う
- だんだん奥まで行けるようになる
- 以下くりかえし
「なんだ、それは単なる作業じゃないか」と思ったあなたは正しい。でもこれが不思議と面白いのだった。
「どうぶつの森」にも同じような面があって、毎日のゲーム内容は非常に作業的である。でもその作業そのものが楽しいし、同じような作業の中にちょっとした違いがあったりして、それが嬉しさやカタルシスになる。
「世界樹の迷宮」の作業ルーチンはまた、「ウィザードリィ」も思い出させる。パーティーは十分に強くなっているしダンジョンの地図は全部記憶している。だから迷宮へ入っても危険な目にあわない。でも今日もなんとなくウィザードリィで遊ぶ。そしてなぜかきちんと喜びを感じる。「世界樹の迷宮」を遊んでいると、あの不思議な感覚が甦ってくる。
そう考えると、「世界樹の迷宮」が「どうぶつの森」に似ているのではなくて、「どうぶつの森」に「ウィザードリィ」と似たところがあるのかもしれない。
これらのゲームに共通しているのは、ゲーム内でどう行動するか、自分でかなりの部分を決められるところのような気がする。なにをするにも自分で決めるから、結果の責任を自分で負うような感じ。ゲームに遊ばされているというより、自分から遊びに行くような感覚。
(念のため、「遊ばされている」と感じるゲームがすべてよくないとは思っていません)
こういうことを考えていると、ゲームの「自由度」の話になってしまうかな。いずれにしても「世界樹の迷宮」はまだまだ面白い。
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