いや嘘です。刺身も干物も大切です。
- 元ネタ:「jkondoの日記 - スルー力なんて無くていい」
この話をこういうふう↓にまとめるのは、いかにも近藤さんらしくていいなと思う。
他人が自分に対して意見を言うのは、他人が自分に対して興味を持っている証拠であり、その興味を最大限生かす鍵は、意味のある意見を「スルーしない力」だと思います。むしろ大事なのは、意味のない意見をフィルタリングして「その意見はくだらないよ」と言ってくれるような信頼できる人間が身近にいるかどうかじゃないか、なんて事を思いました。
jkondoの日記 - スルー力なんて無くていい
必要だと思えばスルーせず受け止める能力もまた、「スルー力」のひとつだと思う。的外れな悪口とまっとうな批判を弁別できる能力、いわば「スルーフィルタ」をしっかり持つことが「スルー力」につながるという感じ。
ところで、なぜスルー力が話題になるのか。
それは日記やブログに、なにについてどう書くか、迷っている人が多いからではないか。
なにについて書くか
日記やブログになにかを書くと、それを好きな人や嫌いな人が自動的に集まってくる。だから話題にしたいことだけを書けばよい。という話は以前も書いたので、そこから引用しようそうしよう。
好きなことをただ「好き」と書いているだけで、同好の人と知り合えるのがネットのよさである(実は嫌いなものを「嫌い」と書いても、それを好きな人が寄ってくるのがまた面白いところ。つまり対象についてどう書くかよりも、なにについて書くかが重要なのだな)
まんぷく::日記 - Webでは、好きなことを単に「これが好き」と書けばよい〜最近読んだ本:鈴木芳樹『スローブログ宣言!』
実生活でもあるでしょう、「カエルグッズが好き」とふだんから公言している人のところには、自然にカエルグッズが集まってくるような感じ。
一方ネットの場合、「カエルグッズが好き」と書いても「カエルグッズが嫌い」と書いても、カエルグッズについて語りたい人が同じようにやってくる。だからカエルグッズを話題にしたくない人は、そもそもカエルグッズについて書かないのがよい。
どう書くか
有名ブロガーへのインタビューなどで、「ネットにはネガティブなことを書かない」というポリシーをよく聞く。それはまったく正しくて、腹が立ったできごとやつまらなかった映画、読んで損したと感じた本について、正直にその通り書いても面白い記事にはならない。
でも、それについて書きたいと思うときは、ポジティブな書き方にすればよい。たとえば:
- 腹が立ったできごとについて
- こういうことがあって不愉快な気持ちになった、こうなっていれば、あるいは自分がこう考えることができたら、腹が立つことはなかったかも
- つまらなかった映画について
- この映画を観た、こういうところはイマイチだけど、そこは期待せずにこういう見方をすると楽しめるかも
- 読んで損したと感じた本について
- こういう本を読んだ、内容にこういう期待を持っていたが違っていた、こういう内容の本なので、そういうのが好きな人にはおすすめ
対象についてネガティブな感想を持つかどうかは、自分の感じ方ひとつである。その感情をそのまま外に出すと読む人が不愉快に思うかも、と気づけるかどうかがまず重要になる。そしてそこから一歩引いて、読者にとってなにか有益な情報を入れるようにしたい。そうすれば、自分の日記やブログでわざわざこれについて記事を書くことに価値が出てくることになる。
(ところで私は、単に「つまらない映画だった」「この本を読んで損した」と感じることはない。つまらなさ加減が面白さになることもあるし、こちらの感受性が貧弱で作品のよさを見つけられなかった可能性もあるから)
- 関連記事:「撃ち抜く言葉」(d:id:Imamura:20060203:oneword)の京極夏彦の言葉