さて『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』である。いわゆる「平成ガメラ」シリーズは恐怖!異形!SF!で怪獣映画の王道復活をもくろみ、それはかなり成功してきたとは思うのだが。
ガメラに限らず、第3作というのはすごく難しいと思う。第2作は前作とどう違っていても、比較対象が1つしかないから違ってさえいればそれが新味になる。しかし第3作となると、前の2作品からどれを継続させどれを停止させるか、取捨選択できるものごとが中途半端に多く、しがらみとなって作り手を悩ませる。これが第4作まできてしまえばシリーズものとしての流れができあがってしまう頃だから、開き直ってその流れに乗ってしまえばよいのだが、第3作ではまだそこまで思い切れないだろう。
そういった「第3作」的な苦しみがガメラでは、ギャオスの存在について現れていたように思う。第1作『ガメラ 大怪獣空中決戦』で敵役だった怪獣ギャオスは、第2作『ガメラ2 レギオン襲来』には欠席して今回再登場している。同じ怪獣がまた出てくるというのは、「第2作では『欠席』」とつい書いてしまうくらいにギャオスが「ガメラ」の中でポピュラーな怪獣になってしまうわけで、これはどうにも世界の幅をせばめてしまっていると思うのだ。これがもし4作目でもギャオスが出てくるということになれば、そういうものだということになって慣れてしまうのだろうが。
一方、続きものらしくてうまい道具立てだと思ったのは、今回のヒロインは第1作の東京戦で両親を失い、ガメラに対して強い復讐心を抱いているというところ。いわば「怪獣孤児」である。ガメラが敵の怪獣と街なかで戦うとなれば街が無傷なわけがなく、そうなれば死者がゼロってことはまずないはずで、そのへんの事情をうまく新作のキー要素に仕立てたものである。
「ガメラ」では犠牲者の発生が多く描かれてきた。『ガメラ 大怪獣空中決戦』ではギャオスが中央線を襲い、高架脇を逃げる人々の上に例の赤い車両が落ちていったり、生物たるギャオスがもっとも手早く得られる肉として人間を選んだり(人間は個体数が多いし、犬猫よりは体長も大きいから自然な選択ではある)。それでも、街レベルの破壊について前2作では「避難がきちんと行われて被害は最小限」という表現になっていたが今回はこのへん容赦がない。渋谷のシーンでは、ガメラはほとんど「災害」である。ただ、「災害としてのガメラ」という仕掛けは物語全体の中でいまいち活用されていないとも思うのだが。
そう、「仕掛けの活用」という意味において、今回のガメラはだいぶ厳しいものがあった。前2作に引き続いて今回も登場する大迫(元)警部補の姿は印象的ではあるがそれだけで、わかりやすい感情表現しかしてくれない。中途半端な伝奇要素(そういうネタを使うくせに最後にアレがああではね)、その伝奇要素に食われて減ってしまったSFマインド。整理されていない登場人物。この人たちはナニをするためになぜあえてここにいるのか、とかまあいろいろフに落ちない感じ。
しかし、特撮は頑張っていたのだ。特に渋谷のシーンはテンションの高さがすばらしい。中でも気に入ったのは、普段テレビでよく見かけるカメラアングルの中にズドンと怪獣が現れるカット。こういう、見慣れたものの中に見慣れないものが入り込んでくる映像は大好きだ。「目が驚く」映像を味わえるってのは、まこと映像作品の醍醐味である。
長くなってしまったので、続きは明日。