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くさくさしたら人にいいことを

【元記事:くさくさしたら人にいいことを:d:id:manpukuya:20060514:p1

つらいときや悲しいとき、くさくさしたときは、行きずりの人とその場限りの関係を持つとよい。

いや変な意味ではなくて、自分のことを知らない人と話をしたりするとよいという話。特にこのとき、相手に対してなにか親切をするのが一番いい。

知らない人からの親切は、お礼がどうのとか借りを作るとか、面倒なあとくされを伴わない。だから親切が純粋な善行として立ち上がり、その場を支配する。親切な人が、実はいやなことがあったから親切なことをしているなんて、周囲には知る由もない。そしてそれはそれでいいのだ。しない善よりする偽善である。

親切にする相手がいなければ、献血をしてもいい。間接的な人助けになるし、めぐりめぐって自分のためにもなる。

通勤に中央線を使っていたころは、電車がよく遅れたり止まったりしていた。そしてそれは、単に迷惑なことというわけでもなかった。周囲の見知らぬ人と情報を交換することになったりして、それは日常生活でなかなか新鮮な体験だったからだ。

中央線沿線の人たちは電車の遅れに慣れているため、混乱が少ないという事情もあっただろう。

いまの日本は、特に都心のような他人だらけの場所では、周囲の人を敵とみなして行動すると効率が上がるようになってしまっている。みんながそういう了解でいる中、電車の遅延は他人どうしに連帯感が生まれ、空気が変わる貴重な瞬間だった。

中央線の遅れがそれほど苦にならなかったのは、あの雰囲気がけっこう好きだったからでもあった。