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BS1スペシャル「Brakeless JR福知山線脱線事故9年」

福知山線脱線事故が起きたのは2005年の4月25日。9年目のドキュメンタリーが国際共同制作された。

内容を紹介する記事は以下。

福知山線5418M 一両目の真実』の編集に際して、著者の吉田恭一さんに会うのと合わせて現場へ行ったことがある。2006年6月、事故から1年あまり後のことである。

福知山線5418M 一両目の真実

福知山線5418M 一両目の真実

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編集にあたって電車や線路の様子を知っておきたいと考えて、現場まではいろいろ写真を撮ったりしている。当時はストリートビューなどないから(日本版公開は2008年8月:d:id:Imamura:20080806:googlestreetview)現場マンションの周辺は工場が建ち並び、準工業地域でよく見る「騒音などありますがご了解ください」の看板をいくつも見かけて「やっぱり実際に見に行くとたくさんのことがわかるなあ」と思っていた。

当時の写真を見返すと、現場に着いたあとは1枚も写真を撮っていない。

事故現場の今の様子をストリートビューで見るとこんな感じ。

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これは2011年1月の撮影とある。久しぶりに見たがこの様子は2006年から基本的に変わっていない。塚口駅から歩いてきてこれを見ると、もう写真を撮れる雰囲気ではない。ここだけ周囲の音が小さくなり、空気がしんとしているように感じた。献花場への通路を入っていくと奥に献花台があり、JR職員とおぼしき背広の人が二人ほど立っていた。マンション側のフェンスの向こう側には関係者向けの祭壇がある。そちらでは男性が一人、花を手入れしていた。献花台に手を合わせて戻ろうとすると、背広の二人が深々とおじぎをした。

JR福知山線は私鉄との営業競争に苦しんでいた。過密なダイヤを組み、運行ミスをした運転士に厳しい指導を行っていた。当日は駆け込み乗車での遅れが伊丹駅でのオーバーランでさらに広がった。運転士は遅れを取り戻すことで頭がいっぱいになりあのカーブに減速せず突っ込んでいってしまったのだろうという証言が番組で紹介される。

番組はさらに日本社会のあり方からこの事故をとらえている。高度経済成長を経てバブル崩壊以降、企業が効率を重視し利益を上げようとする風潮が広がったと柳田邦男が話す。経済の論理が運転士に過度なプレッシャーを与え、乗客を安全に運ぶ使命を上回ってしまった。

ちょうどひと月前に起きた韓国のフェリー沈没事故にも似たものを感じる。フェリーは貨物の過積載や、それを隠ぺいする処理が常態化していたと報道されている。結果として、重心が高くなったフェリーは転覆しやすくなっていた。

2012年4月に関越道で起きた高速バスの事故も同様で、運賃を安くするため運転手に無理をさせすぎた結果、あのような大事故になってしまっている。

我々消費者はもっと安く、もっと速くと無責任に求めがちである。原発事故もその結果のひとつといえるだろう。

「Brakeless JR福知山線脱線事故9年」の再放送は5月18日(日)(17日(土)深夜)の1時から1時50分である。