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「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」と「破」をみて

昨日は、「破」を見てきたその日の夜にテレビで「序」を放送するというヱヴァづくし。

「序」は映画館で何度か見て、音響設計がいいなあと思っていた。というのはクライマックスの超ビーム、劇場だと音に圧倒されてこりゃ気持ちイイー、となるから。

あの大音響が最大音量になるよう、「序」全体の音量が調整されているのだろうと思った。そして、家のテレビで見るとホームシアターでもない限り、あのすごい音響は体感できないんじゃないだろうかとも考えたのだった。

テレビでの「序」は、なるべく大きな音で見てみた。やはりあのビームはけっこう気持ちイイー。いやでもそれは、映画館で一度あの気持ちよさを体験していて、それを思い出しつつ聞いているからかもしれない。

あと今回、ビームの発射音を何度か聞き返してみると面白い音だなと気づいた。強いエネルギーを表現する際に、バシュッとかドワッといった低音をあえて外し、文字にすると「タシッ」とでもいうような軽い音になっている。その代わりビームが出たあと、それが着弾する描写では太い音になっていた。へえー。

さて、音の話はこれくらいにして。

昼間に見た「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」とあわせて、今回の「新劇場版」はテレビ版「新世紀エヴァンゲリオン」と比べて、いくつかの表現がマイルドになっていると感じる。たとえば聖書がらみの謎はあまり意味深には感じられない。また登場人物のトラウマと、その結果のひねた性格描写(とくにシンジ君の)は不快にならない程度にソフトだ。

30分番組を毎週1回放送していたテレビ版と違って、劇場版は1本2時間にストーリーを凝縮する。だから劇場版では、見ている側が次回放送までにあれこれ妄想する時間をとれない。またテレビ版でのある種のしつこさ、ねちっこさがある性格表現は劇場版では外していかないと、時間が足りなくなってしまう事情もあるだろう。

それらを差し引いても、新劇場版はとっつきがよくなっていると感じた。

テレビ版の放送時、シンジ君の内向的、自罰的、受け身な性格は、ある程度の共感をもって視聴者に受け入れられていたように思う。ほかの登場人物も、それぞれなりに生きづらさを自覚していて、それと折り合いをつけながら生活している描写がされていた。

また謎の演出では、実在の古文書を小道具に使うことで、すでにある膨大な資料と先行研究をお手軽に内包したため、謎解き好きの興味を大いに盛り上げていた。

こういう要素は、新劇場版ではかなり大胆に削られている。謎はそれ自体が物語への興味を抱かせ、ドライブさせるものではなくなった。性格描写ではたとえば、シンジ君が自分から披露した特技に綾波もアスカも触発される様子がていねいに描かれていたりして、シンジ君が最近のアニメの主人公に合わせて、主人公だからというだけでモテる人になってしまっているとも思えたりする。

ともかく、新劇場版は謎も性格描写もあまり深みに立ち入らずシンプルになった。深く考えさせなくなったぶん、娯楽性が増しているように感じる。

それはそれで単純に楽しいし、絵もきれいで眼福なのは確かだ。でも新劇場版がただそれだけの作品になろうとしているのなら、ちょっと寂しい気もするのだった。