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人の生死と行動力について考えた話

テレビやビデオを見ていたら、いろいろ考え込んでしまった。

生と死が常に隣り合っていた宮本輝の人生

NHK教育の「知るを楽しむ〜人生の歩き方/宮本輝:流転の歳月」を見る。

公式サイトの番組紹介
http://www.nhk.or.jp/shiruraku/200801/wednesday.html
テキスト

宮本輝の小説では、人の生と死が薄皮一枚で隣り合わせになっていて、ふとした拍子に死の側へ倒れ込む様子がよく描かれる。

自分が見た/読んだのは、是枝裕和監督、江角マキコ主演の映画『幻の光』と、その小説である。

幻の光 [DVD]

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幻の光 (新潮文庫)

幻の光 (新潮文庫)

幻の光』の文庫は短編集で、生と死が交錯する、落ち着いた話が多かったことが印象に残っている。静かな暮らしの中で、突然誰かが死ぬ。考えられないほど唐突だが、圧倒的な現実として迫ってくる。

こういう話がうまい人だなあと思っていたら、本人がそういう体験をたくさんしてきているのだということがこの番組でわかった。

豊かな生活が洞爺丸台風で一変、父は事業をたたむことになり貧しい暮らしを始める。父は愛人のもとに通いつめ、母はアルコール依存から自殺未遂を起こす。そのとき宮本輝少年は「母が収容された病院へ見舞いに行ったら、母が本当に死んでしまう」という思いにとらわれ、押し入れの中に隠れていた。その際電気スタンドとともに持ち込んだ本が、井上靖の自伝的小説『あすなろ物語』だった。

「そんな状況で読んでいるわけですから、内容がどんどん自分の中へ入ってくるんです。理解できるんです。人が生きるとはどういうことか、死とはなにか。夢中で読みました」。そして母は一命をとりとめた。

ほかにも、自身の少年時代をもとに書いた『泥の河』では、川舟であさり取りをしていた老人へもう一度目をやると舟の上には誰もいない、飛び込んだのか落ちたのかがわからず警官が困り果てるというエピソードがある。「これは自分の体験をそのまま書きました」という。

川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)

川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)

44歳で母を看取ったとき、とても不安に駆られた。井上靖にその話をすると「行列の先頭に押し出されたような気持ちになるんだ」と言われ、「うまいことを言うなあと思いました」。親がいる間はいくつになっても子供だ、親を亡くしてその安心感がなくなって初めて、人は親離れするのだと考えた。

さらに50歳になったとき、阪神大震災に遭って自宅が全壊した。「このとき、もし書斎で仕事をしていたら、ぼくは死んでいました。書斎の正面の窓がひしゃげてガラスが割れ、破片が椅子の背もたれにたくさん刺さっていた」

ほかにもいろいろなエピソードが紹介され、この人はたびたび生と死の狭間に置かれる体験をしてきて、それを糧に小説を書くタイプの人なんだと実感したのだった。

新機動戦記ガンダムWの夢想的戦争観

U局でずっとやっていた「新機動戦記ガンダムW」、内容が現在の戦争観にまったく合っていないところが逆に面白く、ついに最後まで見通した。

ガンダムW」では「絶対平和主義」として、誰も武器を持たない、すべての戦争行為をやめる、といった理想が語られる。また自動操縦の無人モビルスーツ「モビルドール」に対して、敵方のヒーローであるゼクス・マーキスなどは「人間同士がすべてをぶつけ合うモビルスーツ戦こそ美しい、モビルドールは醜悪だ」といったことを話している。一種の騎士道である。

これらの考えは、現代の紛争地域や武力勢力のテロが相次ぐ地域、またイラク戦争においてはまったく用をなしていない。そのことは、たとえば『カラシニコフ』や『戦争請負会社』を読めばよくわかるだろう。また『武装解除』(未読)も参考になりそうだ。

カラシニコフ

カラシニコフ

戦争請負会社

戦争請負会社

武装解除  -紛争屋が見た世界 (講談社現代新書)

武装解除 -紛争屋が見た世界 (講談社現代新書)

他人の美学や名誉にもとづく丁々発止につき合わされる一般兵こそいい迷惑であって、殺す殺されるの話は参加したい人だけでやってほしい。そのためにモビルドールはなかなかいい兵器だと思うんだけどなあ。

(と思っていただけに、「今まで何人が犠牲になったかわかっているのか!!」と聞かれてちゃんと答えるトレーズ閣下はすごいと思った)

旧日記の関連記事「アフリカは大変だァ〜「ロード・オブ・ウォー」と『カラシニコフ』 - まんぷく::日記」
http://d.hatena.ne.jp/Imamura/20060114/africa

サンフランシスコでの聖火リレーへの抗議デモ

ビデオを止めると、ニュースが流れていた。

中国のチベット弾圧に抗議するデモが世界中で頻発している。そんな中、北京オリンピックのために世界を回る聖火リレーアメリカのサンフランシスコにやってきた。聖火リレーへの抗議デモもヨーロッパでは大いに盛んだった。アメリカではどうか?

出発と同時に聖火ランナーはコースをそれて倉庫の中へ。そして予定外の別な場所から現れて聖火をつなぐ。当初のゴール地点も変更されて非公開となり、沿道の誰もゴールの瞬間を見なかったという。SF市長は、安全性を考えていろいろ変更したと語っている。

これを見て、日本に聖火リレーが来た場合どうなるだろうと思った(4月26日に長野市に来る由)。ここまで過激にはならず、なんとなく「せっかく来た聖火リレーの邪魔をするのは悪いしねえ」みたいな雰囲気になっちゃうんじゃないかなあ。

そう考えるといまの日本人のうち、あそこまで激しい抗議デモに自分が参加する場面を想像できる人は、あまり多くないんじゃないかと思うのだった。

米軍基地とか北方領土とか北朝鮮拉致問題とか、精力的に頑張っている方々はいても、それは特別なこととして認識される。自分が抗議デモに参加する? なにを訴える? それでなにかが変わるの? そんなところじゃないだろうか。(自分もそうだ)

お祭り騒ぎでは踊らにゃ損損、茶々を入れるのは野暮のすること、という程度に豊かな暮らしをしている国民にとって、自分の考えを表明する方法としてのデモ行進はちょっと過激すぎるのかもしれない。

25年ぶりに故郷イラクの土を踏んだクルド人青年

BS世界のドキュメンタリーで「25年後の祖国 〜あるクルド人難民の帰郷〜」を見る。

公式サイトの番組紹介
http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/080321.html

語り手のスーワン・ナモは1982年、5歳のときにサダム・フセインの弾圧を逃れ、イラククルド人自治区から離れた。難民の立場になってから16年。一家はオーストラリアに定住している。

苦難の歴史をたどり、今もって自民族の国を作ることもできないクルド人の中で、自分だけが恵まれた環境にいてよいのか。そう考えたスーワン青年は、イラクのほかにシリア、ヨルダン、パレスチナなどを訪ねる旅に出る、という内容。

シリアのUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)を訪ねると、係の人に言われる。「クルド人難民でオーストラリアに定住できるなんて、宝くじに当たるよりも幸運よ」

施設の外には、難民認定を求める人々が行列を作っている。スーワンは言う。「この行列に並んだときのことははっきりと覚えています。UNHCRの人々はとてもまぶしく見えた。さっき僕が車から降りたとき、今度は自分がその視線を浴びているのだと思うとやるせない気持ちになる」。

ある難民キャンプには、武装集団がまぎれ込んでいて毎日武力闘争をしている。周辺に暮らす人々は「難民だからといって、武器を持って戦闘しているなんて」と不満げだ。スーワンが「彼らは国を追われた難民なんですよ」と言っても、目と鼻の先にある難民キャンプで銃声が響き、戦車が建物を破壊している中では市民を納得させられない。

サダム・フセインはイラン・イラク戦争で多くのクルド人を前線に投入した。スーワンの父も最前線で戦った。父は語る。「クルド人として徴兵されました。運がよいから生き残っただけです。誰のために戦うのか。フセインスンニ派のために戦うのかと悩みました」

クルド人への弾圧はほかにもあり、1986年(たしか)には化学兵器を使った大虐殺も行われた。映像に出てくるのは、累々と並ぶ死体。大人も子供も区別なく、ねじれた体はもう動かない。当時の状況を知る人の話:「空襲を避けるため、村人は地下に掘った防空壕に隠れました。そこへフセイン化学兵器を使ったのです。空気より重い神経ガスは地下壕に入り込み、たくさんの人が亡くなりました」。

フセインは結局、ある村で住人140名を殺した罪で絞首刑になった。「数十万のクルド人を虐殺した罪は問われなかったんです」と、スーワンは憤る。

それでも、彼の祖母がいるというイラクキルクークは危険だからと、比較的治安が安定しているイラク東部の街へ飛行機で到着したとき、スーワンは本当に嬉しそうだった。タラップを降りきったところで地面に口づけをする。空港の係官から「さっきのは君かい?」と声をかけられる。「25年ぶりに祖国へ戻ってきました。本当に感激です」

中東への旅は、彼に大きな怒りと悲しみ、そして喜びをもたらしたのだった。(話はもうちょっとあるんだけどそこは見てのお楽しみ)

まとめ

宮本輝ガンダムWの一般兵、聖火リレーに抗議する人、そしてスーワン・ナモ、誰がどれだけどうかなどと比べるのはあまり意味がない。それぞれのエピソードをどうとらえるか、自分の中では問題提起がされた段階であって、結論はすぐには出ないだろう。

ともあれ、たまたま見た録画とその切れ目にたまたま見たニュースが、それぞれいい具合に関連しあっていていろいろ考えさせられたのは面白い体験だった。