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311から半年、911から10年

この半年とこの10年を考えると、なんともいいがたい気持ちになる。どちらも、世界のありかたが一変してしまうできごとだった。

10年前は「CAD&CGマガジン」の編集部にいて、ちょうど校了作業の真っ最中だった。

前日は台風で、この日は夕方から晴れてきて劇的な夕焼けが出ていた。雲がどんどん流れていく。それを編集部の窓に置いたeggy(というデジカメ)の微速度撮影機能を使って撮っていた。

校了日の編集部は月に一度の活気を見せる。各ページの最終的なチェックが次々と行われていき、全ページが校了となるまで終わらない。

夜になって誰かが言った。「ニューヨークでビルに小型機が突っ込んだらしい」。その何年か前にアメリカでそういった事故が起きていたから「へえ、またか」という程度の気分だった。

しばらくして「また飛行機が突っ込んだらしい」と誰かが言った。そんなばかなことが。小型テレビがつけられ(当時はまだワンセグはなかった)NHKが映ると録画映像がリピートされている。煙を上げる世界貿易センタービルが出ている。右から旅客機が入ってくるのが一瞬見えて、炎と煙がまた上がった。これは事故ではない、テロだ。

その後少しずつ情報が入ってきた。米国内で飛行中の旅客機は全機最寄りの空港に着陸との命令が出た、いま100機ほどが飛んでいる、ペンタゴンにも旅客機が突っ込んだ、ほかにも墜落した機があるらしい。

アメリカが大変なことになっているのはわかった。でも目の前の校了もすませなければならない。仕事が終わったのは夜遅くだった。

帰りの電車内でいろいろなことを考えた。このときはまだ、誰がどんな目的でテロを行ったのかわかっていない。日本も標的になっているかもしれない。日本でのテロというと地下鉄サリン事件が思い浮かぶ。あれからまだ6年しかたっていなかった。連続テロがいつどのような形で収まるのかもわからない。わかっていたのは、世界のありかたが今日この日をもって変わろうとしていることだけだった。しかし世界がどんな形に変わるのか、この段階ではまだ見えていない。

当時住んでいたのは武蔵境で、ふだんは駅まで自転車で通っていた。しかし朝はまだ台風が残っていて雨だったため、駅までバスで行っている。そういうとき帰りは15分くらいかけて家まで歩いていた。この日もいつもなら歩いていただろう。しかし今日はあまりのことに気が滅入って、駅からタクシーを使った。普通の帰宅時にタクシーを使ったのはこのときくらいだった。

タクシーの車内にはニュースを知らせる「見えるラジオ」の電光掲示板がある。非常事態が宣言されたというようなニュースが流れていた。運転手さんに「世界はどうなってしまうんでしょうね」と話しかけたものの、気のない返事だったのが印象に残っている。そりゃそうか。

こうして、輝かしいはずの21世紀は明けて半年余りでテロリズムに塗りつぶされた。

それから10年。世界にも自分にもいろいろあった。世界では「テロとの戦い」が続いている。自分は9年半勤めた会社を病気で退職し、作っていた雑誌も今はもうない。

テロについては以前「『テロとの戦いに勝つ』ってどういうこと?」(d:id:Imamura:20060911:terror)という記事を書いた。ブッシュ大統領のお題目は、人がなぜテロという方法に訴えることになったのかをくみ取っていないように思えた。この印象は今でも変わらない。

テロとの戦いに勝った世の中とは、テロリストがテロを行う必要がなくなった社会か、テロリストがすべてをあきらめた社会のどちらかだ。それは実現が絶望的であるか、または実現するべきではないように思う。

あれから9年半、今度は日本で世界のあり方が大きく変わった。震災と原発事故が起き、テレビでは毎日各地の放射線量が天気予報のように伝えられている。

20世紀から見た21世紀は、もっと希望に満ちていたはずだった。冷戦時代はいつ人類が滅びてもおかしくないという終末感が常にあったが、それも90年代には解消していた。なのに2011年の今はどうなのか。911の後も相変わらずテロリズムは横行しており、311で先進の科学技術は敗北した。

絶望するだけですむならまだましで、どんなに絶望していても腹は減るから日々の営みは続けなければならない。そんな21世紀を我々は生きていかなければならないのだった。

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