被告の表面しか見ないことが、裁判所の良心なのかも

光市の母子殺害事件で、被告の元少年に死刑判決が出た。

判決の中では、「被告に悔悟する様子が見られない」ことも量刑の判断材料になったという。

じゃあ逆に、内心まったく反省していない被告が、表面的には悔悟の念を強く持っているように見せて、ついに本心を隠しおおせたまま人生を終えた場合どうなるか。

社会的なつき合いのある人も表面しか見ないから、「事件のあとはまったく人が変わったようで」とか、「最近は、あんな事件を起こしたなんて信じられないと思うようになった」のようになるのではないか。

裁判所も、本当の内心を暴こうとはしていない。

言動として発露する部分だけを見て判断する。

そんないい加減な、と思うかもしれない。でもそれが裁判所の限界であり、同時に「被告の本当の内心は見ませんよ」というある種の良心なのかもしれない。

日本の裁判制度については、映画「それでもボクはやってない」を、死刑制度については森達也の『死刑』をおすすめします。