ブブンブンブンブブブンブ〜ン。塊を毎晩転がしているので寝不足だ。これくらい楽しめるゲームなら、全部クリアしてからもたまに出してきて遊べそう。そこまでのゲームは、自分にとっては『Rez』以来かもしれない。
『塊魂』をほかのゲームを引き合いにして要素分けすると、たとえば下のようになる。
- 「フォゾン」的要素
- くっつけて大きくしていく心地よさ(『塊魂』は巨大化のスケールが数百倍と桁違いだが)。この、塊がどんどん大きくなっていく気持ちよさは破格で、マンデルブロー集合的というか、『パワーズ・オブ・テン』的というか、ミクロからマクロへ連続的に視点が移動していくダイナミズムには頭がくらくらしてくる(『パワーズ・オブ・テン』は、DVD『EAMES FILMS:チャールズ&レイ・イームズの映像世界』に収録されている)
- 「パックマン」的要素
- フィールド内をくまなく移動すること。敵=障害物に対して、のちに逆襲できること。最初は耐えなければならないが、のちに立場が逆転したときの達成感は、フィールドを仕切っている柵を巻き込めるようになったときに強く感じる
- レースゲームの要素
- なるべく早く、効率よく回れるコースを考えること。たとえば、より大きな塊を作るには、どのくらいの大きさになったら学校の方へ向かうか、といった計画性が必要になる。その際の移動の自由度の高さという点では、コースが不定で、軽自動車に乗って街の抜け道を探しまくる異色のレースゲーム『GTI CLUB』(コナミ)に近い。移動の効率化を目指す気持ちは、特に「星をつくる7」、表彰台の上から始まり、バナナが点々と置いてあるのが見えるステージで実感する。あの場面は、ダッシュでバナナを拾えたらかなりの時間短縮になりそうだ、という期待感を抱かせる。なお何度も遊んでいると移動の順序が最適化されていくため、ステージによってはまったく近寄らない場所ができてしまう。それでもひと通り遊んで、成績の向上が目的でなくなれば、「今回はこっちへ行ってみよう」のような楽しみ方もできるだろう
遊んでいて少し意外なのは、プレイ中には塊の構成物をほとんど見ていないということ。対象を塊に巻き込めたとわかった瞬間、その対象はノイズとなる。脳が、視覚情報としての処理をやめてしまう感覚がある。画面のエフェクトや王様のコメントによってフィールドの作りが切り替わっても、今まで作ってきた塊が変化したという違和感が少ないのは、そのせいなのではないかと思う。