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更新履歴的日記:更新履歴的日記2001更新/電車内交渉術

元記事:更新履歴的日記2001更新/電車内交渉術】

電車の中で村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の続きを読み始めたら、すぐ脇の中年女性に注意された。のでこのページを更新。

村上春樹なんて読むものじゃありません!」

なわけがなくて、「本を読むな」と言うのだった。怒り口調の主張を要約すると「こんなに混んだ電車の中で本を読む人があるか、本が体に当たって不快である」というようなことだった。それほどの混雑とは思わなかったし、自分の本が今彼女に触れているわけでもないことを確認はしたが、有無を言わせない口調に鼻白んでしまい村上春樹は中断した。

上の主張を振り返ってみると、「混んだ電車内では本など読まないのが常識だ」の部分は蛇足なのではないかと思った。いやそりゃもちろん、混んだ電車でむりやり本を読むと時として周囲に不快感を与えることはあるだろうけれど、混雑した電車+本=不快という公理があるわけではないからだ。それに、「そう混んでいるとは思わない。だから今ここで本を読むのをやめる理由にはならない」と返されたら無効になってしまう。社会倫理を持ち出すと「そうするものだからそうしなさい」のように根拠が希薄になりがちで、それでは説得力が少なくなる。むしろ彼女の意見の後半、「本が当たって(当たるかもしれなくて)不快」のほうが説得力があるだろう。相手にとってそれは、今目の前にいる人間のナマな実感だからだ。「ここは禁煙だからタバコはやめてもらいたい」ではなくて「煙が流れてきて不快なので別の場所で喫ってもらいたい」と言うべきだし、あるいは「電車の中では携帯電話の電源を切るのがマナーだ」ではなくて「着信音が耳ざわりなので電源を切るなどしてもらいたい」と言うべきなのだ。

こういう言い方は、社会のルールやマナーを使って説得するのと異なり、「わたし」がどう感じているかを正確に伝える必要があるから、自分の感じ方に一定の自信がないと、こういう言い方をしづらいかもしれない。しかしそもそも「ある印象」があり、その結果相手にしてもらいたいことがあるのだから、その印象を伝える努力をしたいものだ。それを放棄して「こういう人がいて腹が立った」と愚痴るだけでは、ますます暮らしにくい社会になっていってしまうだろう。

社会の中で、相手の行動を自分の意に添わせようと思うならば、相応の交渉術が必要だ。最初から怒り口調で頭ごなしにどなりつければ、相手は「なにを」となり余計な反発を招きかねない。相手の行動が自分にとってどのような不利益を生んでいるか、またどのようにしてもらいたいのかをきちんと伝えなければならない。そして重要なのは、相手が思わずこちらの言い分に従ってしまいたくなるような口調や物腰で言うことだ。相手に「むりやりさせられた」と思わせないように工夫するべきなのだ。「こちらの言っていることは正しいのに、逆恨みされた」は、相手の反発を招く言い方になってしまったからだろう。

けれど、こういう交渉術を身につける機会ってなかなかないでしょう。授業のカリキュラムに入れることもできるはずだが、そうはなっていない。その結果どなりつけて従わせるやり方しか知らないのでは、それはあまりに貧しい対人接触法である。