「ダーウィンの悪夢」をめぐって

【元記事:「ダーウィンの悪夢」をめぐって:d:id:manpukuya:20070703:darwin

「ヨーシ次! - ダーウィンの悪夢」(d:id:GID0:20070702:1183303300)で、映画「ダーウィンの悪夢」について書かれた文章が2つ紹介されていた。

ダルエスサラーム便り No.49 "Darwin's Nightmare"― ダーウィンの悪夢 ―

冒頭、「今年の3月の『通信』No.47で触れた」とあるのは「ダルエスサラーム便り No.47のこと。

ダーウィンの悪夢」がなぜ問題なのか?

映画の中で描かれている事実は、総じて事実である。首を傾げるような場面はいくつもあるし、案内役の役割を果たしている水産研究所の夜警のセリフは、かなり意図的である。それは措いておくとしても、さまざまな事実をどう選択し、どう羅列するかは、製作側の意図である。ドキュメンタリー映画とはいえ、監督の主張、作品であることを忘れてはいけない。例えば、ロシア製の輸送機、ロシア人(ウクライナ人)のクルー、彼らとホテルの酒場で飲む娼婦たち、後日談として仲間の死を語る女、エイズで若者が死ぬ埋葬用の穴が掘られている村、クルーたちがかつてアンゴラコンゴに武器を運んでいた記憶… 。そういった事実を淡々と並べる手法。それは映像効果を狙った監督の作品なのであって、それを純真に「これがタンザニアの現実だ」と思い込む方がおかしい。

(中略)

ヨーロッパから発信された、ヨーロッパ人の目のフィルターを通したアフリカ像を鵜呑みにしてはいけないと思う。これを「グローバリズム」とか「開発」や「自立」の問題にすり替えてはいけないと思う。それ以前の事実の解釈の問題なのだ。

私は昨年12月から今年2月まで続いた取材で、関係各省庁を回り、撮影許可の手続きを繰り返した。政府の撮影許可は簡単に取れたが、現場、特に「ダーウィンの悪夢」で描かれた加工工場や水産研究所の許可は難航を極めた。皆担当者は会うと、「ダーウィンの悪夢」とは違う視点で事実を伝えたいという私の申請に理解を示し、にこやかに対応してくれたが、回答は何度もNoで返って来た。担当者に問い詰めると、「上司が」と言う。上司に会うと、その人も理解を示してくれるが、「もっと上が」と言う。どうも担当大臣、大統領レベルの政治問題化しているようだ。現にムワンザの水産研究所の夜警は解雇されていたし、その夜警を撮影クルーに紹介したスタッフも解雇されたと聞いた。皆責任を追求されることを恐れ、関わりを避ける雰囲気が感じられた。

それを「責任逃れの官僚主義」としたり、「表現・報道の自由のない後進国の問題」と解しては誤る。タンザニア官僚主義ははびこっているし、報道の自由があると強弁はしないが、独裁国家であったことは一度もないし、外国人からの批判には寛容な国だ。また、「タンザニアの恥部を暴いた」と狭量でもない。やはり、「ダーウィンの悪夢」の事実の描き方が、余りにも不当、不公平とタンザニア人の目に見えたのだろうと思う。

ダルエスサラーム便り No.49

ほぼ日刊イトイ新聞 -ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。vol.138●至近距離の恐怖‥‥、──『ダーウィンの悪夢』

(※引用者註:引用時に改行を減らすなど加工しました)

ものごとの伝え方とは、クリエイターによって多種多様であり、ドキュメンタリーとフィクションを完全に切り分ける境界線を見つけることにそれほどの意味は無い(映画にとって)。

なによりもこの映画がしようとしていることは、事実の検証ではなく、あるひとつの問題提起。

なにも知らずに白身魚を食べるよりは、何が起こっているのかという現実を知ることが少なくとも必要だということです。

なぜなら、その問題は遠い国のことではなくて、至近距離にある問題だから。

さて何が問題なのか?

ビクトリア湖の一匹のナイルパーチに話を戻すと、次のような「悪の連鎖」が見えるという。

  1. ナイルパーチが大繁殖し、生態系が崩れた
  2. ナイルパーチの加工品輸出のための工場ができ、農村や遠くからも労働者が流れ込んだ
  3. 漁師の仕事も減り、貧富の差が拡大した
  4. 工場の周りに労働者に群がる売春宿ができた
  5. 避妊用具を使わず、エイズが蔓延し、エイズによって親を亡くしたストリートチルドレンが増えた/職にあぶれ、国外脱出者(EU、香港、日本など)も増えた(手配師によって歌舞伎町、六本木へ)
  6. エイズは国外脱出者や、魚の輸送者などによって世界各地へ拡散
  7. ループ

ナイルパーチは単なる1つのサンプルであって、ビクトリア湖も単なるサンプルの場所であるとすれば、魚を、ダイヤモンド、石油、金などの資源に置き換え、場所を、ほかの同じく搾取されている土地に置き換えても、同じ方式が成り立ってしまう。

つまり、これはグローバリゼーションがもたらす、「悪の連鎖」と呼ぶことができる、と監督は捉える。

ほぼ日刊イトイ新聞 -ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。vol.138- Darwin's Nightmare -

いろいろな見方があるものだけれど、少なくとも「ダルエスサラーム便り」で「『ダーウィンの悪夢』ではナイルパーチが悪役になっている」と書かれているのは誤解だろう。この映画の目的は、グローバリゼーションがもたらしたひとつの状況を示し、それについて考えさせることだ。悪夢の中心にいるのはナイルパーチであるが、ナイルパーチを悪役にしてしまうと、それをとりまく人や経済が免責されてしまいかねない。

「悪役」のナイルパーチがいなくなれば、あるいは我々がナイルパーチから作られたフィレオフィッシュを食べるのをやめれば、それで解決するような単純な問題ではないのだ。今すぐこうすればよい、という処方箋がないことを突きつけられる。それこそが、この映画のいう「悪夢」なのである。

ダーウィンの悪夢」について、そのほかにいくつかの文章を読んでみた。現地の様子を知っている人ほど、「あれは恣意的に編集されている、そこが問題だ」と意見しているように感じた。

しかし、同じ映画を観ても人によって感想が大きく変わるのだから、同じ国の同じ町を訪ねても、そこでなにを見、なにを感じ取るかが同じになるはずがない。

どうもこのあたり、「ドキュメンタリーなのだから恣意的な編集、偏った見方をしてはいけない」という誤解があるように思えた。

ダーウィンの悪夢」について、この日記内の記事のリンク集

「シンポジウム『グローバル化と奈落の夢』(『ダーウィンの悪夢』上映会)」
d:id:Imamura:20051015:darwin)フーベルト・ザウパー監督を招いて開催された上映会のレポート。「ダーウィンの悪夢」で描かれた内容の補足などを聞くことができた。
「アフリカは大変だァ〜『ロード・オブ・ウォー』と『カラシニコフ』」
d:id:Imamura:20060114:africa)映画「ロード・オブ・ウォー」と書籍「カラシニコフ」の紹介と、そこを出発点に考えたアフリカの諸問題、関連する本について。
ダーウィンの悪夢
d:id:Imamura:20060305:darwin)上映会で見た「ダーウィンの悪夢」が、BS1で放送されたときのエントリ。
森達也講演『ドキュメンタリーとジャーナリズム』」
d:id:Imamura:20070114:mori)非常に刺激的だった講演のレポート。ドキュメンタリー映画ドキュメンタリーは嘘をつく」をタネにして、ドキュメンタリーこそきわめて個人的で恣意的なメディアであることを暴露する。関連記事として、「ダーウィンの悪夢」に対するさまざまな意見のリンク集も。