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9年目の今日、『ワン・モア・ヌーク』を読む

ワン・モア・ヌーク (新潮文庫)

ワン・モア・ヌーク (新潮文庫)

藤井大洋『ワン・モア・ヌーク』を読んだ。2020年3月6日から10日までの東京が舞台になっている。この時期を選ぶからには当然、震災とそれにともなう原発事故が主なテーマである。また東京オリンピックの開催を控えていることも重要なポイントだ。

そもそも著者が小説を書こうと思い立ったのは2011年の原発事故がきっかけだそうだから、原子力と安全、安心や科学リテラシーについて考えていることがこのような形になったのだろうと感じた。

以下はセルフパブリッシングされた初めての小説『ジーン・マッパー』が話題になったころのインタビュー。

「きっかけは昨年の東日本大震災でした。大震災自体も、もちろんショッキングではありましたが、福島原発事故と、その後の専門家の混乱で、これまで社会が科学に対して持っていた信頼が完全に失墜したことが、私にとってはさらに衝撃的な出来事でした」

すべてのものと同様、科学にも良い面、悪い面がある。だが一方で科学技術のもたらした恩恵により、昔より今の生活は確実に改善しているはずで、さまざまな面で豊かに、楽に暮らせるようになっている。その点についての見方まで揺らいでいることが、藤井氏には非常に気になったのだという。

「科学や技術はたくさんの問題を引き起こしてきましたが、それでも人間にはそうした困難を乗り越える力があるはず。これまでもそうしてきたし、これからもきっとそうできると思うんです。決して諦めてはいけない、そういう明るい前向きなメッセージを、何とかして世の中に訴えたい」

日本人初? 「コボ」「キンドル」でデビューした新人作家が1位を獲得するまで - 林 智彦 - 本のニュース | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
セルフ・パブリッシング版(「core」)
商業出版版(「full build」)
Gene Mapper -full build- (ハヤカワ文庫JA)

Gene Mapper -full build- (ハヤカワ文庫JA)

さて、現実の日本と世界は今、原子力のことを考える余裕を失っている。新型コロナウイルス「COVID-19」が中国の武漢市で流行し、韓国と日本を通り過ぎて今はヨーロッパや中東に広がりつつある。学校は休校になりイベントは中止されている。株価や為替相場も荒っぽく推移している。今日は、震災や原発事故について静かに思いをめぐらせる9年目とはならなかった。

災害が起きたとき重要なのは、正しい情報に基づく行動だ。しかし原発事故のときと同様、新型コロナウイルスに対しても不正確な知識、裏付けのない直感にもとづく言説によって社会に混乱が起きてしまっている。検査数を抑えて医療崩壊を防ぐ方策への疑問、またマスクやトイレットペーパーの品薄騒動が典型的だ。

下の写真は、今日スーパーで撮影したものである。納豆の棚が空っぽになっている。

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なんでも茨城県では新型コロナウイルスの感染者が見つかっていない、それは茨城県民が納豆を食べているからだというデマにもならない冗談(としか思えない)が原因らしい。

新型コロナウイルスは今のところワクチンや治療薬がない病気で、不安になるのはわかる。だからといって納豆が売り切れるのでは呪術と変わらない。バナナダイエットを思い出した。

集団免疫とは、ワクチンの接種でたくさんの人が病気にかからなくなった(=免疫を獲得した)状態をいう。なるべく多くの人がワクチンを打つことで、免疫のない人どうしの接触を減らし、病気が広がるのを防ぐことができる。

教育で獲得できる知識やメディアリテラシーもまた集団免疫なのだと思う。おかしなデマが出てきても、知識の集団免疫ができていて「それはおかしい」とわかる人が多ければ広がることはない。

手洗いが病気を防ぐことに異を唱える人はいない。それは一人ひとりがそう実感した経験を持っているからではなく、単に皆がそういう知識を持っているからだ。「手洗いは体に悪い」と主張する人がいても「それはないでしょ」と相手にされないだろう。これは手洗いの知識が集団免疫を獲得しているともいえるのではないか。

原発事故の被災地としての福島県は、しばしばカタカナで「フクシマ」と表記される。『ワン・モア・ヌーク』には、原発事故から9年を経てもなお根強く残る、「フクシマ」への不信感に対する絶望が描かれる。そこに知識の集団免疫はない。震災や原発事故そのものではなく、人々の誤解や偏見によって健康を害したり、時には亡くなってしまう人もいる。新型コロナウイルスで同じことは起きてほしくないが、どうなるかはわからない。

しかしあきらめるわけにはいかない。科学は万能でないが、科学を用いて理性と知性でことにあたっていきたい。

関連リンク

本書で参考文献に挙げられている「0.02%の嘘」を書いた柏井勇魚さんの書評。

「0.02%の嘘」はこちら。