最初ののPS版が、中古で1000円で出ていたのを買う。で、ちょこっと遊んでみる。やっぱり最初のドリラーは楽しいなー。キャラクターは変にあか抜けてないしルールもシンプル。すばらしい。
- 出版社/メーカー: ナムコ
- 発売日: 2000/06/27
- メディア: Video Game
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このゲームはリズムが乗らないと、始まってすぐ死んじゃったりする。でもドリラーはゲームオーバーになっても、不思議とあまり悔しくない。といって面白くないわけではもちろんなく、掘り進む感触が気持ちよいからまたすぐ遊んでしまう。
ナムコは、ときどきこういう「終わってもあまり悔しくない」ゲームを作る。たとえば「タンクフォース」や「コズモギャング・ザ・ビデオ」などがそうだ。
「タンクフォース」は実はけっこう難しく、自分の腕ではたいてい、最初のボスをクリアするかどうかまでで終わっていた。でも、いつも同じあたりで終わることはプレイの意欲に不思議と影響しない。遊んでいるときはしっかり楽しいし、また次も遊ぶ気になる。その点で、ちょっと独特な感覚があるゲームだった。
「コズモギャング・ザ・ビデオ」はまた別なものを持っていた。地球へ攻めてくるコズモギャングたちと戦っているはずなのに、一緒に遊んでいるような気持ちになってくる。校庭で手打ち野球やドッジボールをして遊んだときのような、勝っても負けてもお互い楽しく遊べればよい、というムードを感じる。
このゲームの基本ルールは「ギャラクシアン」シリーズだが、雰囲気はまったく異なり、明るく楽しげである。今までの、暗い宇宙で互いの命を賭けて戦うイメージのまま作られた「ギャラガ88」では、制作スタッフがボーナスステージでけなげに舞うエイリアンを撃ち落とすうち「なんか悪いことしてる気がしてくるな〜」と語ったという。「コズモギャング・ザ・ビデオ」では、そのような罪悪感は生まれない。自機の連射性能の向上、多彩なパワーアップ、テンポのよい演出など、気持ちよさを突きつめた作り。だからゲームオーバーになっても「また明日も遊ぼうね」と思うのだった。
このときの「次もまた遊ぼう」という気分は、「今度はうまくやってやるぜ!」という挑戦心というより、「この心地よさをまた味わいたい」という欲求に近い気がする。
そうか、挑戦心はゲームをクリアすると一息つくけれど、心地よさはいつどのように遊んでも感じることができる。「どうぶつの森」や「nintendogs」のような、ゲームオーバーのないゲームをえんえん遊べるのは、心地よさを感じさせてくれるゲームだからなのかも。
これはまた、自分が「面食いゲーマー」(グラフィックが気に入ったゲームでないと、結局それほどやり込まない)であることの説明にもなりそうだ。