帰るのが遅くなって、途中から視聴。
ものすごく久しぶりに見たけれど、これはやっぱりなんというか、すごい映画だ。構成はいくらなんでも…というくらいいびつだし、作画もすごいところと崩れるところが極端だし、カタストロフは一枚絵ですませちゃえ〜だったりするのに、当時のほかのアニメとはあまりにも違いすぎて、そこが圧倒的な魅力になっている。さすが角川アニメ第一弾。変で過剰なエネルギーがあふれまくっている。
キース・エマーソンによる主題歌、ゴシック体のタイトル、学生服の主人公、大友克洋の美男美女とはいいがたいキャラクターデザイン、吹き出すオーラの描写、住宅や日常雑貨の執拗なまでのリアリティ、光と影のコントラスト。1983年によくもまあこんな映画を作れたものだと思う。
そしてこの映画がテレビで放送されるということ自体に、とうとうそういう時代になったのかという驚きを感じる。1983年と2006年、そのほぼ中間に1995年がある。この年、オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こしたのだった。
「幻魔大戦」は超能力やハルマゲドンを扱っている。これらのタームを引き継いだのがオウム真理教だった。森川嘉一郎は、展覧会「おたく:人格=空間=都市」で、サティアンの写真と「幻魔大戦」のスチールを並べ、会場には「幻魔大戦」のテーマ曲をループで流した。
「幻魔大戦」は、バイオテロを起こしたカルト教団がモチーフに選んだ映画だった。それは「幻魔大戦」という作品の力強さの一端を示しているが、作品としては不幸な選ばれ方だったとしか言いようがない。1995年以降、超能力やハルマゲドンといったオカルトを扱うテレビ番組は、まず放送されなくなった(このあたりは森達也『職業欄はエスパー』asin:4043625022 に詳しい)。こういうメディアの反応の一環として、「幻魔大戦」もまた、半分「封印」されてしまった。
その映画がこうして今日、テレビで放送された。時はたつもの、ひっかくもの。そこがまた感慨を誘う。とかいって、1995年以降すでに放送されてたりしたら台無しですが。
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