三が日で、実家や親戚宅へご挨拶に。
実家で父から聞いた、自分が高校に入ったころのエピソードが面白かった。
パソコンを数十時間動かしっぱなしでCGを作らせていたら(昔からそんなことばっかやってたんです)、父が間違えて電源を切ってしまった。そうしたら息子は怒ったりせず、そのパソコンでなにをしていたところだったのか、そして父がしたことがどのようにひどいことなのかを淡々と説明した、それが父にとってとても印象的だったのだそうだ。
これは、今の自分ならまったく不思議のない行動だけれど、その傾向が高校生のころからあったというのは我ながら意外であると感じた。なにしろ20歳くらいまでの自分をふり返ると、なんというか自分で自分をどつきたくなるような未熟者であって、恥ずかしくて人様にお見せできるような人間ではなかったという印象だから。
あとで思い出した。「怒ると疲れるからなるべく怒らない」という考え方は、確かに当時すでに持っていた。それでも上のような非常時に取り乱したりしないというのは、10代後半の自分にしては案外やるじゃない、と思ったのだった。
今日は親戚のお宅へ。
小学3年生の姪によると、こちらが蝶結びの方法を最初に教えたことをよく覚えているという。そうなのか。教えたほうはちっとも覚えていない。姪の母にいわく、姪はこちらが話したちょっとした知識をよく覚えているそうだ。その知識がなにかの時にポンと出てきて、母は娘が意外なことを知っていると驚くのだという。
そういうことを聞くと、こちらにも話しがいが出る。ちょうどテレビでピラミッドやミイラなどエジプト文明の番組をやっていたので、なぜピラミッドやミイラを作るのか、どうやって作るのか、エジプト文明での神の概念、一神教と多神教があることなどを調子に乗って話してみた。
子供のころは、どんな知識が重要かの判断ができない。だから妙にトリビアルなことがらをいつまでも覚えていたりする。話す側としては、なるべく知ってて損にならなさそうなことを話そうと思った。