私服の学校で制服を着る自由
今朝のNHKニュースから。
長野県の高校で、「なんちゃって制服」の是非が取りざたされているという。制服のない学校に、制服ふうの服を着てくる生徒が増えているのだそうだ。
長野県では、6割の高校が制服を定めていないという。昔、制服をなくす動きが活発になった時期があったからとのこと。東京都の高校で、私服なのは1割だけだそうだ。
ということで、せっかく私服なのにわざわざ制服を着てくるのはどうなのよ、ということになっているんだって。
こういう話を聞くと、もうずーっと前に新聞の投書欄で読んだ、中学生の投書を思い出す。
いわく、「最近、丸刈りの強制はよくないという風潮があるが、丸刈りはとてもよいと思う。清潔だし洗髪は楽だし、云々」といった内容。投書欄の担当の人はこれを読んだとき、こりゃいい感じに極端な意見だわいウッシッシ、と喜んだことだろう。
案の定、数日後に「丸刈りに関する意見への反応」といった投書が載った。
いわく、「確かに君にとって丸刈りはいいものかもしれない。でもそれを男子生徒全員に強制することが問題なんだヨ。君は長髪を強制されるとイヤかもしれないが、同じように丸刈りを強制されるのをいやがる人もいるんだヨ」という内容。そりゃそうだ。
全生徒の服装や髪の長さを統一する必要などない。それぞれが自分で考え、自由に選ぶことができるようなルールであればそれでよいのだ。
自分の母校では、制服がない代わりに「標準服」を定めていた。標準服の見た目は普通の学ランである。でも「制服」ではないので、着ても着なくてもよい。毎日なにを着ていくか、選ぶのが大変、という生徒は標準服を着ればいいし、おしゃれが好きな生徒は私服で通えばよい。もちろん「昨日は学ランだったけれど今日は私服で行こう」でもよい。それでなにも問題はないし、「学ランなんてダサイぜ」も「毎日違う服なんて着てられない」も、それぞれ尊重されるべき意見であり、お互いをどうこう言う必要はないと認識されていた。
面白いことに、高2くらいまで私服が多かった教室は、高3になると学ランが増えてきた。高校生活の終わりが近づき、新しい世界へ出て行くことを意識するようになって、高校生でなければできない服装を今のうちにと考える生徒が増えたのかもしれない。
こういう変化は、制服禁止の学校でも、私服禁止の学校でも見られないだろう。自分がなにを着たいのか、自分で考え自分で選んでいた結果が、そのようになっていたのだった。
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曇り
- 2006年11月17日の記事をまとめ読み:http://ima.hatenablog.jp/entries/2006/11/17