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スティーブ・ジョブズのおかげで携帯電話を近道できた

今日はスティーブ・ジョブズが亡くなって1年になる。早いものだ。去年の今日は自分のMac歴やMacの独特の操作感について書いた。

先日発表された「iPhone 5」は、ジョブズ自身が手をかけた最後の機種なのだそうだ。

そういえばスティーブ・ジョブズには本当に感謝している。「携帯電話を近道できた」から。

自分の携帯電話歴は1996年ごろ、NTTパーソナルPHSから始まる。当時のPHSNTTパーソナルのほかDDIポケット(現WILLCOM)やアステルといった通信会社があり、安価な携帯型の電話としてシェアもそれなりにあった。iモードのサービスインは1999年。iモードの大成功で携帯電話は一気に普及し、独特の文化を作っていくことになる。

そのころ自分はというと、携帯電話は通話の音質に不満がありそのくせ料金が高いのでPHSを使い続けていた。iモードのようなサードパーティも参入する多彩なサービスはなく、基本的に通話専用である。そういえば当時はソニーCLIEというPDAPHSをつないでデータ通信とかやってたな(例:d:id:Imamura:20030817:p1)。ガジェット好きにはいい時代だった。

一方携帯電話はますます普及してきていた。ふだんパソコンでネットを見ていると、携帯電話の小さい画面とテンキーだけですべてをまかなうのはとても耐えられない。しかしいつかは携帯電話を持ち、iモードEZwebJ-SKYといった情報サービスを利用することになるのだろうとも思っていた。

それはパソコンのことを考えてみればよくわかる。富士通の「マイコン」であるFM-7からコンピュータに触れてきて、パソコンは面白いと思っていたから知識も身につく。そうするうちに実務でパソコンが使われるようになってきた。大学を出て最初の就職と転職ではどちらも、パソコンの知識があることを売り込んだ。パソコンについては世間の人々より知識があったから実益を得ることができた。

しかし携帯電話に関してはまったく逆だ。携帯電話について世間の多くの人がわかっていることもまるで知らない。パソコンを使えずに時代に取り残されていったおじさんたちの姿は、携帯電話を使えない自分の未来像だと思っていた。

PHSDDIポケットががんばっていた。AH-K3001V、いわゆる「京ぽん」というインターネット接続が得意な端末はすばらしいできで、発売されてすぐに買っている(d:id:Imamura:20040529:AH)。これを使うと、iモードなど通信会社がお膳立てしたサービスを介さず、Webを直接閲覧できた。しかもネットへの接続は定額である。パソコンやPDAでネットにつないできた身にはこれがしっくりくる。天気予報やニュースを見るのさえ月額課金されるような携帯電話のサービスなど使っていられない。

しかし、これで世間の主流からはますます外れていった。

その後DDIポケットWILLCOMに名前を変えた。自分もAH-K3001Vから性能が上がったWX310Kを経て(d:id:Imamura:20060130:wx310k)、Advanced W-ZERO3[es](通称Ad[es])にたどり着いた(d:id:Imamura:20070729:ades)。これこそOSにWindows Mobileを搭載した、当時の「スマートフォン」なのだった。あーやっとスマートフォンが出てきた。

ところが当時のスマートフォンは通信機能つきのPDAといった認識のされ方で、ガジェット好きのおもちゃの域を出なかった。いろいろカスタマイズするのが楽しい向きには楽しいが人に勧めようとは思わない。携帯電話はカスタマイズができない代わりに中身はしっかり作り込んであり、その中で使うぶんには便利なものだった。

Windows MobileはいかにもWindows的な鈍重さであり、メニューを表示したりアプリを起動したりすればなんの視覚効果もなくぱっと出てくる。手のひらに載るような非力な端末ではそれがせいいっぱいなのだろうと多くの人が考えていて、それを不思議に思うこともなかった。

だからアップルがiPhoneを発表して、つるーっとスクロールするのを見たあるW-ZERO3ユーザーが「あのように小さい端末であのようにスムーズなスクロールができるはずがない、あれは実機の操作の様子ではなく、そういう操作ができたらいいなという動画を再生しているだけに違いない」と勘違いした(実話)のも無理はなかった。

ユーザーがカスタマイズしなければならないうちはまだまだだ、という話は以前にも何度か書いている。

「空気のような存在にしたい」は本当に切実で、このころになると買った端末の環境を構築するのが面倒だと感じるようになっていた。2つめの記事でふれているように、iPhoneは空気のような存在になるかもしれない。それになにより、使っていて「うれしい」感じがありそうだ。

そして日本でiPhoneが発売された日に行列に並んで買ってしまったのだった。

iPhone 3Gは使ってみると聞きしに勝る気持ちよさ。すべての操作は連続的な視覚効果で表示され、今なにが起きたのかわからなくなることはない。これはすばらしいものが出てきた。

iPhoneが日本に上陸した2008年当時、それはまだ異端の端末だった。世間は従来の携帯電話を中心に動いている。だからiPhone 3Gを手にしても、いつかは自分が「普通の携帯電話の使い方を知らない遅れている人」になるだろうという予想は変わらなかった。

それが今ではがらりと変わってしまった。

世の中は今やスマートフォンが全盛で、しかも操作感はWindows Mobileとは比較にならない。電車の中では誰も彼もが端末の画面をなでている。あれほど栄えた携帯電話はガラパゴスケータイとさげすまれ、あっという間に傍流へ転がり落ちてしまった。従来型の携帯電話を「フィーチャーフォン」と呼ぶようになったのはiPhoneの登場後である。これはスマートフォンが普及してきて単に「ケータイ」と呼べばすむ状況ではなくなったからだ。

iPhoneを買ったのは自分に合っていると感じたからで、自分にはよくても世間の主流とはかけ離れていると思っていた。ところがiPhoneユーザーになったら、あれよあれよという間に時代の最先端に押し出されてしまった。同じスマートフォンを使うといってもAd[es]までとiPhone後では立場がまったく異なる。世間の傍流で、自分のために自分によいものを手間をかけて使う状況から、いま一番売れている商品を使う状況に変わってしまった。

そのことを改めて実感したのは、出先で充電ケーブルを買ったときだ。地方の普通のスーパーにiPhoneの充電ケーブルが売られているなんて、iPhone 3Gが出た当時は夢にも思わなかった。

いつか携帯電話の使い方を覚えなければいけないと憂鬱だったのが、ジョブズのおかげで回り道をせずにすんだ。

未来は先の見えないハイウェイだ(「ターミネーター2」)。一時は権勢を誇っていても、ささいなことから転落していく。辛酸をなめる時代があっても、そのときの経験が生きて世間の中心に躍り出ることもある。人生なにがよくて、なにが悪いかなんてわかったものじゃない。

そんな転機を自分に作ってくれたのがスティーブ・ジョブズであり、だからジョブズの墓があるサンフランシスコのアルタメサ共同墓地(Alta Mesa Memorial Park)には足を向けて寝られないのだった。