- 作者: 高木光太郎
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2006/05
- メディア: 新書
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これはこの記事を読んで購入。
45人の被験者にクルマの衝突事故の映像7本を見せる。映像は5〜30秒の長さ。その後、いくつか事故の状況について質問をする。そのなかでポイントとなる質問は、クルマの速度に関するもので「クルマはどのくらいの速度で走っていましたか?」と問う。
45人を5グループに分け、5つの微妙にニュアンスの異なる質問文を使う。「クルマが衝突したとき、クルマはどのくらいの速度で走っていましたか?」という質問は別のグループでは「クルマが激突したとき」「クルマがぶつかったとき」「クルマが当たったとき」「クルマが接触したとき」と尋ねる。
まったく同じ映像を見ているにもかかわらず、5群のグループの回答から、クルマの速度の平均値を出すと、質問文が記憶を変容させるさまがはっきり見て取れる。
the other side of my days: 証言の心理学
記憶の捏造というととんでもないこと、自分にはありえないことと思うかもしれないが、実際はそんなことはない…という話を先日聞いたところだったので、個人的にもタイムリーだ。
その聞いた話では、グループで数時間話をする様子をビデオに収めた。数日後、自分がどんな話をしていたかを記憶を頼りに書き出し、ビデオと突き合わせてみた。すると、全員がその場の様子を相当間違って覚えていたことがわかったそうだ。
記憶が頼りないものと知るのは、立体視や錯視、共感覚、幻肢痛のような、脳や知覚の不思議につながる面白さがある。
それに自分の記憶の不確かさがわかれば、言った・言わないの話にもならないし、またそうならないための善後策を取るよう、普段から心がけるようにもなるだろう。