- 作者:佐藤 幹夫
- メディア: 単行本
浅草で起きた、レッサーパンダの帽子をかぶった男による事件のルポ。米光さんが勧めていたので読む。司法のあり方、報道のあり方、福祉のあり方などなど、いろいろな問題が提起されている。
それはそれとしてこれを読んで、裁判はやっぱりいやだな、どんな形でも参加したくないなと改めて思った。
少し前の「攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG」で、トグサが裁判の被告になる話があった。「聞かれたことにだけ答えてください!」(でもその質問ではどう答えても真意が伝わらないよ)、というようなやり取りでトグサがストレスをためていくのを見て、こういうのは苦手だなー、自分がトグサの立場になったら、冷静に公判を受けるなんて絶対できないだろうな、と思ったのだった。
裁判には、裁判を成り立たせるための独特の世界と言葉があり、同じ日本語が使われていても言葉の意味がことごとく違うという印象がある。そして自分は、裁判の世界観を知らない。裁判では、同時代に同じ国で同じ言葉を使って生きている相手なのに、自分の言葉が通じないのではないかという不安を感じる。
だから、この本の被告となった男が、裁判の言葉やルールを理解できず、自分の不利益になる発言をしてしまったりするのを読んでいると、程度の違いこそあれ、自分も裁判ではそのようなことをしてしまうだろうな、と思うのだった。