オープンソースの画像生成AIをセットアップから使い方まで解説する『Stable Diffusion AI画像生成ガイドブック』(ソシム刊)発売中(→本のサポートページ

84759.6km+51.9km=84811.5km

元記事

月のはじめの土曜日は〜、と秋葉での呑み「どいち会」へ。今日はその前に映画『ダークシティ』を観たので、その話を。
 いつのどことも知れない夜の街で、記憶をなくした主人公が侵略者の真相に近づいていく、というような物語。こちらとしては、夜の映像をどのように撮っているかに興味があったのだが、話のほうでも意外ないいネタが使われていた。
 映像については、監督が『クロウ−飛翔伝説』(未見だけど)のアレックス・プロヤスで、この監督はどうやら暗〜い映像が好きらしいという印象があったため、街灯や室内灯だけが作る深い陰影の味わいはなかなか期待通り。そもそも『ダークシティ』なんてタイトルの映画を撮る人が、夜の映像にこだわりを見せないわけがないのだ。
 話の「いいネタ」とは、記憶の「思い出」的な側面を強調して語っていた部分。過去の思い出について誰もが持っているであろう、なんとなくあやふやでちょっと苦いような感触を物語に利用しているのが好みでした。ほら、小さい頃の思い出って、実際に体験したことなのか、それとも夢で見たことなのか、区別できなかったりするでしょう。だから夢って「思い出製造装置」であると思っていたりするのだけど、こういった「思い出の曖昧さ」をこの映画ではうまく利用していて、ナルホドと考えたくなる話になっていたのが収穫。
 では、これがいい映画かといえば残念ながら。話立てはB級もB級、都合よすぎの展開、話を進めるために出てきてやられちゃう人たち、思わせぶりなだけで物語になんの結果ももたらさないアイテム。ポスターに出てくるうず巻きがあるでしょう。何とあのうず巻きは、本筋とまったく関係ないのだ。予告編を見た人の中には、侵略者の1人だけが子供の外見を持っていることを知っているかもしれないが、あれも特に意味はありません。このへんの意味づけの面白さを期待して観に行くと、ぷんすかしながら劇場を出ることになってしまうという、まことにいいかげんな作りの映画なのだった。