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今日のブックマーク

はてなダイアリー共有フォルダ、凍結へ

正式発表されました。(共有フォルダのアカウントを持っている人には、少し前にはてなからメールが来てました)

もし、今後は各ユーザーのフォトライフに、ということだと、そのユーザーが退会したとき公開テーマが機能しなくなるのでは、と思っていたけれど、公式のフォトライフf:id:hatenadiary)という代替手段も用意されてひと安心。

自分自身、以前は共有フォルダにいろいろ置いて「どうぞご利用ください。」とやっていたけれど、最近はすっかりごぶさただ。このところ、共有フォルダの画像がときどき表示されなくなることもあったので、メンテナンスコストが下がる方法へ移行するのはよい。

ケータイ小説、ニュースに出る

【元記事:ケータイ小説、ニュースに出る:d:id:manpukuya:20070308:ktai_novel

今朝のNHKニュースでやってましたねー、ケータイ小説

といった内容。

画面に登場した「クリアネス」の著者、十和さんは女性、20代の会社員。ふだんは本といえばマンガを読む程度。たまたまケータイ小説サイトを見つけ、軽い気持ちで書き始めた。

何回かアップしたところで飽きてしまい、そのまま放っておいた。数ヶ月後に見てみると、再開を求めるコメントがたくさんついていてびっくり。そのおかげで完結させることができた。

クリアネス―限りなく透明な恋の物語

クリアネス―限りなく透明な恋の物語

  • 作者:十和
  • 発売日: 2007/02/01
  • メディア: 単行本

十和さんは、カラオケ店で聞く歌から浮かんだ言葉をすぐ携帯電話にメモする。「すぐに書き留めておかないと忘れてしまう」。

カラオケ友達は「メールしているのかと思ったら返事が来るわけではないし、なにをしているんだろうと思っていた」。十和さん「ばれてた!?」友達「当たり前!」

ケータイ小説の多くは、小説としての仕上がりはもう一つである(←控えめな表現)とされるけれど、このニュースでは内容に踏み込んでいなかったように思う。

ケータイ小説」という新ジャンル

「なぜあんなものが」と思う向きも大いにあるだろうけれど、実際に売れていることは売れている。このあたりの事情はブログ「パンダのため息」でいろいろ書かれている。

有名小説家の新作ですら初版3万部で上々という昨今、

無名の新人のデビュー作がいきなり初版30万部!

(それもときには上下各……だったりする)

それがいまの

ケータイ小説

の現状ってわけです。


パンダのため息 初版30万部の小説

とここから、面白い話がたくさん。

特に面白いと思ったのは、こんなところ。

Yoshiさんは、

作品の文学的評価なんて、

完成度なんて、

作家の存在意義なんて、

全然考えてない。

そもそも「作家」になるつもりはない、という。

たしかに、

『Deep Love』はじめ彼の小説は、

いわゆる小説としてはヒドイし、

文芸ヅラしている編集者はケチョンケチョに言うか、読んでないふりをするし、

文学賞からも文壇からも無視、というか見ちゃいけないもの扱いされている。

でも、彼はそれらをすべてわかったうえで、

「いいんです、それで! 読者さえいてくれれば」

と、力強く断言されてました。

パンダのため息 Yoshiという人 その3

不遜な喩えかもしれないけど、文芸編集の仕事ってのは「農耕」に近い。

それも5年、10年というスパンの。

だから、たとえデビュー作がたったの初版5千部でも「種を蒔く」ということにおいて意義がある。

そして、その作家を“滝”で打って、人気作家になるという「収穫」をずっと待つのです。

パンダのため息 ケータイ小説編集者たち その2

(従来のタイプの文芸編集者は、)この現象がただのブームで早晩廃れることを期待、というか思い込んでる。

そしてただじっと嵐が過ぎ去るのを待っている。

でも、それって「嵐」なの? ブームなの?

あたしには、それが決してブームには思えない。

パンダのため息 ケータイ小説編集者たち その4

といった具合。

ケータイ小説でも、本を読んでくれるならそれでよい

ケータイ小説を従来の「小説」と同じ軸で評価すると、確かに血圧が上がっちゃう人もいるだろう。でも売れているのは確かだし、「本を読む機会を増やしている」ことは無視できない。

編集者としての今までの方法が通用しなくなったら、新しい方法を考えればいい。いやいや、考えなければいけない。

ケータイ小説を読んでも『本を読んだ』ことにはならない」と思うなら、ケータイ小説を読んだ人をさらに深い読書体験へ導く。

ケータイ小説の読者はレベルが低いのだ」と思うなら、「読者のレベルを上げ」て従来の「文芸」を手に取ってもらうには、どうすればいいかを考える。

そういうのも編集者の役割だと思うし、それは考えようによっては、とてもやりがいがある仕事じゃないだろうか。

本を作る側の自分としては、すでに何度も書いているように、本や雑誌はどんどん立ち読みしてほしいと思う。図書館や古本屋はもちろん、ブックオフだってまったくオーケー。その代わり、面白い本を見つけたら、そのことを人に話したりネットに書いたりしてほしい。あと買う前の本は、なるべくていねいに扱ってください。

ただ乗りしかしない人に対しては、「面白いと思ったら次は買ってね」「立ち読みですんじゃう商品でスイマセン」と思う。立ち読みすらされない本や雑誌に比べれば、立ち読みされるだけでも幸せなのだ。

まんぷく::日記 - 立ち読みでもいいから本や雑誌を読んでください

ケータイ小説から芥川賞!?

ホイチョイ・プロダクションの「きまぐれコンセプト」に10年くらい前、「全部携帯電話で書いた小説が芥川賞」というようなネタがあった。当時は推測変換などなく、携帯電話で文字を入力するのがそれなりに大変だったから、十分にネタとして成立していた。

でも今の状況を見ると、もしかしてもしかすると、もしかする時代が本当に来るかもしれない。

↓今までの連載、25年分をまとめたというものすごい単行本