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「ワンダと巨像」

9体目まで終了。巨像をやっつけたあと、触手がぐにゅっと入ってきて倒れるところ、なぜかいつも笑ってしまう。

ところで、「ワンダと巨像」は表面的には「ゼルダの伝説」、特に「時のオカリナ」によく似ている。馬はエポナの代わりにアグロであるし、ボス戦を次々こなすようなところも近いといえば近い。でもゼルダには、新しく手に入れたアイテムを直後のボス戦で必ず有効活用するといった、気持ちのよいお約束があるのだが、「ワンダ」にはそういう、面ごとに主人公やプレイヤーの技量が上がっていく心地よさはあまりない。

つまらないとまでは感じないのだけれど、このゲームをもっと楽しめる視点を見つけたい。このままでは、厚みがないゲームだという感想になってしまいそうだ。

「手相占い」

【元記事:「手相占い」:d:id:manpukuya:20051105:tesou

と書かれているポスターを見かけたその瞬間、かなり強い違和感を覚えた。手相は占いか? 手相によってその人の運勢を占うのだから、確かに占いではある。

あっわかった。「手相をもとに運勢を占う」のであるところ、「運勢」を抜いて縮めているところが問題なのだ。「手相を占う」というと、たとえば「あなたの今日の手相は超ラッキー! 生命線が伸びるかも!?」というご託宣が出るもののような気がする。

では「手相占い」のようにコンパクトに、そして実体を正しく表現する言葉とは。「手相運勢占い」では長いしよくわからない。「手相見」は職業の名前である。goo辞書を見たら「手相術(しゅそうじゅつ)」という言葉があった。おお、これでいい。ATOK17では一発変換しなかった単語だけれど、「手相占い」よりは真実を伝えているだろう。