樫尾俊雄発明記念館で発明に捧げた人生を知る

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宇宙作家クラブの例会で、成城の住宅地にある樫尾俊雄発明記念館を見学してきた。見学は無料だが事前の予約が必要。

樫尾俊雄はカシオ計算機の創業者の一人で、2012年に亡くなっている。自邸の一部を博物館に改装し、2013年から公開している。カシオ計算機の創業者ともなるとすごい豪邸で、玄関を入ったエントランスがすでに我が家のリビングより広い。

エントランスの奥にはらせん階段。さすが豪邸。ガウンを着てブランデーグラスを手にして「やあいらっしゃい」なんて下りてきたりしたのだろうか。

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しかしこのらせん階段は単純な円を描いていない。こういう仕様は樫尾俊雄が自分で考えて、設計者の仕事はそれを建築図面に落とし込むことだけだったそうだ。

「発明の部屋」には往年の電気式計算機

まず通されたのは「発明の部屋」。ここの目玉はカシオ計算機が世界で初めて市販したリレー式の小型純電気式計算機「14-A」で、当時のものが稼働できる状態で展示されている。当時の大型の電気計算機は1万個以上のリレーで作られていたが、樫尾俊雄は回路設計を工夫し、350個に満たない数のリレーで計算機を作り上げた。

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(画像をクリックすると原寸表示へのリンクがあり、そこをクリックして拡大するとボードの説明文を読めます)

ところで上のパネルではリレーの数が「341個」と書かれているが古い資料では「342個」と書かれていることが多い。博物館を作るときに数え直したのかもしれない。

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解説員さんが実際に操作して見せてくれた。リレーがガチガチ動いて計算する様子は見ていて楽しい。

リレーが整然と並んださまが美しい。

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操作盤の説明。

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計算の例。

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テーブルの下にあるダイヤルは定数を定義するのに使う。5桁の数字を3つ入れておくことができ、「X」「Y」「Z」のキーで呼び出した。

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14-Aが革新的だったのは電気式計算機としてリレーの数を大幅に減らし小型化したことだけではない。テンキーを採用したり、計算内容や結果をすべて一つのディスプレイに表示するなど、現在の電卓のルーツともいえる新機構を持っていた。これらは当時の計算機ではありえない割り切りだが、使ってみると合理的だとわかる。

14-Aの開発にはいろいろなエピソードがあった。「カシオキミムクチダネ」はすばらしい発想だ。パネル下部は樫尾俊雄が生涯に取得した特許300件以上の一覧。

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14-Aに使われているリレー素子も自社開発した。演算回路は桁ごとに直列につながれており、リレーが一つでも壊れると計算結果が出ない。一部のリレーが故障したとき間違った計算結果を出してしまわない工夫である。

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この14-Aの現物は樫尾俊雄が亡くなったあと、倉庫に保管していたというユーザーから譲り受けた。動作はしなかったが当時の技術者たちが手を加えて再生したそうだ。

こちらは科学技術用計算機「AL-1」。

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AL-1はプログラムを組むことができたという。これはたぶんExcelのセルに「=a1*2+b1」と入れるような一種のマクロではないかと想像。

AL-1のプログラムはこの歯車で組む。歯車の歯を折り取ってプログラムを定義していき、本体にはめ込んで使う。

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「進化の部屋」には電卓の小型化の歴史

「発明の部屋」の隣は「進化の部屋」で、電気計算機に続く電子計算機、個人向けで大ヒットした「♪答え一発」のカシオミニやカード電卓などが展示されている。

ライバル社シャープの電子計算機の広告。カシオはリレー式計算機で先行していたぶん、真空管を使う電子式計算機にはやや出遅れたそうだ。

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カシオミニの実機。当時の電卓の多くは8桁表示だったがこれは6桁しかない。当時の家庭でのおもな電卓需要がお金の計算であるから「100万円以上の計算はまずしないだろう」という割り切りだった。

こうしてカシオミニは1972年、12,800円という当時としては驚異的な低価格で発売され、わずか10か月で100万台を販売した。

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電卓はその後カード電卓へと小型化され、25年間で計算機の重さは1万分の1、消費電力は1500万分の1に。

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14-Aに始まる電気計算機から電子計算機、カシオミニを経てカード電卓へ続く流れはNHK特集『電子立国日本の自叙伝』の第4回「電卓戦争」で扱われた。この回は先日NHKアーカイブスで放送されている。新しい技術に挑戦し続けた熱い時代の息吹を感じられてとても面白かった。

「創造の部屋」は発明家の書斎

さて、「進化の部屋」の次は「創造の部屋」。樫尾俊雄の書斎がそのまま保存、公開されている。ここはPhotosynthでパノラマ撮影してみた。

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普通の書類机と応接セットのような低い机があり、図面を引いたり書類を書くときは高い机、アイデアを練るときは低い机を使っていたそうだ。

低いほうの机に置かれた説明書きは「ノートと鉛筆と消しゴムがあれば。」

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高いほうの机。

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そしてこの部屋には、カシオの原点となった製品が展示されていた。

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「指輪パイプ」は戦後すぐのころ、タバコを最後まで吸いたいという需要に応えるものとして作られた。(たぶんこのころの紙巻きたばこは吸い口にフィルターがついていなかったのだね)

吸い口の角度もたばこの火が指につかないようきちんと考えられている。樫尾俊雄の兄が経営していた樫尾製作所ではこれを毎日200個から300個売り歩いたとのこと。

その後、14-A計算機の発売でカシオ計算機が設立される。樫尾家の四兄弟はそれぞれ開発や営業など得意分野を活かしてさまざまなヒット商品を出し、会社を発展させていった。

最後にベランダに出させてもらった。この邸宅は野川・国分寺崖線の傾斜にかかるように建っていてとても眺めがよい。

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外から見ると屋根がちょっと変わってる。

そういえばこの家の基本設計は樫尾俊雄が自分で考えたと言っていた。「実はこの屋根、空から見ると水晶の形をしています。クオーツ式の時計を出したころに建てたため、それにちなんだそうです」。最後まですごいです。

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Googleマップで上から見たらこうだった。六角形の屋根。そして車や周囲の家のサイズからこの豪邸の大きさがわかるだろう。

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「開発」ではない、「発明」こそカシオ計算機の精神

そういえば写真を撮り忘れてしまったが、14-Aが置かれていた部屋の書棚には樫尾俊雄の特許書類をすべて閲覧できるバインダーがあった。その横幅は全部で1メートルくらい。

(前出の写真の右上にぼんやり写っていた)

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この中には電卓の[00]や[000]ボタンのような目からウロコ系の特許(特開昭47-022023)や、自分が方向音痴だというので考えたカーナビの原型のような特許(特開昭59-176897〜特開昭59-176900)もあるとのこと。

ちょっとした工夫や発想の転換で、今までの不便さが嘘のように解消することがある。「カシオキミムクチダネ」もその一つだ。

樫尾俊雄は子供のころエジソンの伝記に感銘を受け発明家を志したという。「発明は必要の母」と言っていて、「ユーザーがまだ気づいてもいないような必要性を呼び起こす発明をしなければならない」とも。これはスティーブ・ジョブズも言っていた。「人は形にして見せてもらうまで、自分が何を欲しいのかわからないものだ」。

カシオ計算機は計算機事業では14-Aに始まり「カシオミニ」やカード電卓を出して「電卓戦争」を勝ち残ってきた。ほかにも電子楽器「カシオトーン」、腕時計の「G-SHOCK」、デジカメは「QV-10」から「EXILIM」まで、どれも他社の製品にはない独自性を持っている。

カシオ計算機は楽器メーカーではないし、時計メーカーでもカメラメーカーでもない。だからこそどの製品もしがらみなく、必要なところを押さえつつ割り切るところは割り切ったものを作れる。これは確かに、単なる製品開発というより「発明」といったほうがよいだろう。「発明」という言葉が象徴する発想の柔軟さがカシオ計算機の強みなのだろうと感じた。

「0から1を作ることに魅力を感じる」という樫尾俊雄の発明の精神はカシオ計算機そのものなのだな。こういう人が世の中にもっと増えてほしいし自分もその精神を少しでも体現したい。

編集者の仕事もアイデア一つでぐっといいものになったりする点で発明に似ているといえるかも。世の中の知的労働はすべてそうか。

余談

関連リンク

樫尾四兄弟とカシオ計算機の軌跡をたどる内橋克人の本が出ている。

樫尾俊雄発明記念館
電卓や計算機
デジタルカメラ
G-SHOCK

(2月27日記)