1993年にボイジャーが作った最初期の電子書籍、稲垣足穂の「タルホ・フューチュリカ」はHyperCardで作られていて、今の環境でまともに読めなかった。制作者の意図をきちんと再現できるような同一性の保持について考えた、という話。
気持ちはわかる。でもそれは、HyperCardという特定のソフトに依存した形式を採用した時点で、どうにもならないことのように思う。同じソフトの書類でも、バージョンが変わるとうまく開かなくなったりするし。
EPUBやPDFのようにオープンなフォーマットを使えば、将来まったく読めなくなる可能性は下げることができる。それでもフォントが…とか、もし画像が入っていれば解像度が…とか、環境が変わればいろいろ問題が出てくるだろう。紙の本ですら、時間がたてば紙の質感が変わったりする。それで制作者の意図を反映できなくなるかもしれない。
ものを作るにおいては同一性を完全に保つのはそもそも無理と考えて、その中でベストを尽くそうという話になるような気がした。