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「仕事は苦労さえしていればよい」という時代は終わった

【元記事:「仕事は苦労さえしていればよい」という時代は終わった:d:id:manpukuya:20071209:work

記事のタイトルは煽り気味であって過労死の話ではない。主張はここに集約されていると思った。

自分の身を守るためにも「好きな仕事を貫かなければいけない。楽しい仕事をしていかなければならい」と思うのです。

人は何時間働くと過労死するのか? - モチベーションは楽しさ創造から

仕事は結果が悪かったらしょうがないので、「頑張ったかどうか」は基本的に評価されない。頑張るだけで給料をもらえるなら、いくらでも頑張っちゃう。でもそれだけではダメなのが仕事というものだ。

「若いときの苦労は買ってでもしろ」と言ったりするから、仕事の苦労も誤解されやすい。苦労したぶんを評価してほしい、みたいな話になっちゃったりする。いやそこで苦労するのはあなたの能力が低いからでは、ということもある。

「仕事が楽しい」なんてトンデモナイ、という雰囲気は世の中にまだ根強い。でもそれって、先輩から受けたつらいシゴキを自分が先輩になったら後輩にくり返すような面があって、「自分はいやな仕事を我慢してやってきたのに、仕事が楽しいなんて許せない」という理不尽な話に近くないだろうか。

仕事が楽しいにこしたことはない。他人が楽しく仕事をしているのをねたんでも詮がない。

ただこれが進みすぎると「仕事が楽しくない自分はおかしいのじゃないだろうか」とか考えてしまうかもしれないから、バランスはほどほどに。

それにからんだ話が以下に。

三つ確かなことがある。一つ、誰も好きになれない仕事というのは確かにあるのだということ。二つ、誰かがやらなければならない仕事というのは確かにあること。三つ、そういう仕事を片付ける人がいるからこそ、好きを貫いて生きていける人々が存在すること。

(中略)

好きを貫くのもいい。好きを貫いている者を褒め讃えるのもいい。しかし好きを貫いている者であれば、自らの好きを貫くまえに、好きを貫いている誰かを褒める前に、好き嫌いを抜きにして仕事を片付けた方々をねぎらいたいものだ。

404 Blog Not Found:好きを貫いている者の礼儀